2011年12月21日水曜日

仮題

星きら王子は、空を飛びました。空には星屑がいっぱい。彼はそれらを一つ、ひとつ、一つ、ひとつ、一つひとつ、一つ、ひとつ一つ、ひとつ一つ、ひとつ、一つ、ひとつ、一つ、ひとつ一つ、ひとつ、一つ、ひとつ、一つ、ひとつ、一つ、ひとつ、一つひとつ 、手癖の好きなままに拾ってはちぎり拾ってはちぎり、拾ってはちぎり拾ってはちぎり、拾ってはちぎり拾ってはちぎり、しているうちに、持ちきれなくなったので、一先ずあなたの家の屋上に休みました。
少し休んで手のひらをみると、指紋の線に、きらきらとナノサイズの何かが瞬いています。 それは、星の砂のようでした。ほのかに暖かく、オキナワの匂いがしました。と、彼は気づきましたが、オキナワに行った事がない……だから左膝を外側に曲げ、日本の南の空を目指し、虚空を飛びました。すると右目上方、走馬灯のように、ホッキョクグマ、白いヘビ、ホワイトタイガーが見えます。何でしょう、寒かったのか、半裸だから。そうして今、気づくと彼はホワイトタイガーズレイク、インドの北西の隠れたところにある。に、いました。腰に布を一枚当てているばかりで、ぼさっと湖面を眺めている。子どもたちが裸で飛び込む。老人が洗濯をする……地べたはゴミばかりで、陽が鋭い。
彼の旅は、こうして始まりました。
(よくわかる児童文学『星きら王子、空をとぶ』より)




2011年12月17日土曜日

white light (rewrite


タローとジョーは、夜道を駆けた。疾駆した。
疾駆しながらタローは、何故「疾」にはやまいだれ、が付いているのか、疑問に思った。
疑問は、新しい景色を生んだ。景色はこう言った、「あなた、前をみなさい」
するとそこには、輝くあれが。
ジョーは又、別の景色を見ていた。彼は「疾」についてなんて、考えない。だって漢字を知らないから。だから、「running!」と考えていた。考えているのか、考えていないかも、わからぬまま。
ふたりは、内緒だけれど、つき合っていた。
「we're runnin!」ジョーは言った。
タローはシャイなので、俯きがちに「そうね、ラニン……」とぼそりと言った。
そんなタローをジョーは、
「so cute!」と思った。
ああ、夜が待ち遠しい。夜は言うまでもなくそこに居たけれど、ホントウの夜はこれからだった。
息を切らして二人がついたのは、とあるモーテル。ネオンサインが輝く「ホテルはリバーサイド、河沿いリバーサイド」ホテル。ラストスパートでフロントに辿り着くと、ふたり、一部屋、カオの見えないフロントに、そう告げた。
フロントは、どうも二人が男同士な気がするので訝しげにしていると、タローはくにゃり、韓国人女性の真似をして、「소 녀들의 시대가 왔다(少女たちの時代が来た)」、ジョーに体を預けながら、言った。するとタローが健康そうな女性に見えたので、フロントも安心して「301ね、ごゆっく りね、朝は12時までね、そのあとは1時間1,000円だからね、ゆっくりね」と応えた。あと、10時間。二人はくっつき合う。
でも最近、タローは段々女の子みたいになってきた。どうして、心なしか肌も柔らかく、服装もくにゃくにゃしているの。
ジョーはタローの、男に惚れたの。
、、、、、
「ああ、河だ、向う、河」
ジョーはタローに、お金を借りたの。
100ドル札、必ず返すから、口座番号をメールで送って。そう言って、もう10万円くらい渡しているけど、しょうがねえ、詰め寄られて、タローはジョーにお金を貸した。
ジョーは、お金が無かった。すぐお酒を買ったしドラッグも買ったし、しかも妻と娘がいた。
、、、、、
『白い散歩』
真っ暗な中、真っ白な外に出ました。まっ暗かと思いきや、街灯もない山の中は、
意外な明るさでした。
雪がふっているからでしょう。雪は月明かりをいっぱいにたくわえて、
辺りをぼんやりと照らしていました。
都会育ちの私らは、吹雪の中歩きました。セブンイレブンを探して。
明るいとはいっても、やっぱり山の中。しかも都会育ち。
私は、一歩一歩前に進むのが、怖くてしかたありませんでした。
ふりたての雪はまっさらでマサラで、なんの痕跡もなく、雪というより、もやのよに見えました。
歩きながら2人は幽霊みたいと思いました。突然視界に広がる景色は、あんまりこの世っぽくありませんでしたし、このあたりに住んでいる人が、大雪の中、手をつないで歩く2人を見たら「あ、おばけ」、と思っただろうと思います。
幽霊のよう、と思いつつ、私は、自分の足あとを決して忘れてはならない、と、こっそり誓いました。
途中、何度かふりかえり、来た路についた4つの足跡をかくにんしました。
幽霊の足あとは頼りなく
続いていきました。
、、、、、
「このハナシ、知ってる?」ジョーはタローに言いました。
タローもジョーに言いました「僕らもあれだね、ユーレイみたい。」
ユーレイは2人、夜のすき間に重なり合い、肉欲を満たしていきました。
2人こうくっつき合って、飽きることなくさすり合い舐め合い、ドウブツみたいに。
その姿は、雪の中のユーレイのよう、ぼんやりと、白い影みたいで。
ドアが閉じる、灯りが消える、夜が明けて
、、、、、
、、、、、
、、、、、
ドアが開きました。朝が来たら、私らは路上にいた。
路上には、いろいろな人びとがいます。それは片隅で寝袋もしくはボール紙にくるまって寝転がってる人ばかりではなく、そこで煮炊きをして家族ごろりと棲んでいる人ら、おぉいあのすいませんが、、といって1000円の商品券と引き換えにアンケートを募る人ら、もしくはあはぁと言って募金を募る人ら、ただただタムロしてる人ら、、、
そうではなく、待っている人が一番います。恋とか夢とか抽象的な何かをずっと待っている人。それか単に待ち合わせをしてる人。
それか、歩いている人。ただただ歩いている人や、どこかに向って歩いている人。
タローは、ただただ歩いていました。歩く事、ただ歩く事。使い捨てカメラを持って、けれどカメラは一度も使わないで。ただ彼は歩いていました。明治通りに沿って、どこからどこまで?
タローは今、ひとりでした。比喩ではなく本当に。ジョーはあの日、お金を置いて逃げました。はるか遠く、雪のない国へ。
タローは別に、そうか、へえ。と思いました。比喩ではなく本当に。「へえ」と思って、それきりへえと思ってるばか
りです。
、、、、、
歩いているそこは、広尾だった。ここはちょっとヘンな街で、外国の重要人物たちが集う故、次元の違うセレブリティがそこかしこに紛々している。けれど、セレブというよりか、外国そのもののようで、路は広々、公園も広々、草木も一杯、カフェーがある……など、だからそれへの憧れがヘンに「セレブ!」と言わせるのかもしれない。
タローはまだ、20を過ぎたばかりだった。楽天的で、また別の男が見つかるさと思っていた。歩いていると、雰囲気を感じる、それはダークで仕方ない、眼の端に闇がわだかまってるような、匂いのしない臭気が。
レストランとカフェの間、白いなんか、戸の前に黒ずくめの男がいました。
どうも異様な雰囲気で何か、ぼそり、ぼぞり、彼の頭の中に直接話してるように響く声を発しているのです。何を話しているか、分からない言葉で。
けれど、これは未来の自分では? 彼は直感しました。というか、第6感しました。だから口を抑えて、通りを早足に、逃げた。
、、、、、

2011年12月4日日曜日

あなたに対するわたしの全てが、わたしの嘘であり表現だ—―みつを

サワキコウタロウのエッセイに、雑誌に載った文章はあまり読まなかった、大事なものはいつか、本になるから……といった話があった。
なるほど! とわたしもそう思い、あまり読んでいなかった。けれど最近ここ数年、相次ぐザッシの休刊閉刊をきくにつれ、ザッシという存在が、愛おしくなってしょうがない。
インターネットにWEBマガジンというものがありますが、あれはただの画面でしょうね。ただザッシを、めくっていると、これはかたちになる前の愛しい表現だな、というように思った。確かな、時にあやふやな、かたちと色。
とか色々思ったのだけど、歩いているうち、忘れた。
けれどそんなかたちを、嘘でなく素朴なやり方で、伝えたい気がします。
残るものは放っておいても残るでしょう、けれど残らないものも、残したいでしょう?
素朴な記念写真みたいに、ハタで見て感じてもいいですね、駅前の写真館みたいに。

緑色

路面に緑色と書いてある。アスファルトに白い塗料で、何か工事の印だろうか、無造作に書かれた字は不思議な味があって、汚い筆跡だけれどかたちは四角く、夜の路面にほのかな光芒を灯している。けれども、わたしが発見した夜からもう幾日も過ぎているのに、ずっと書かれたそのままで、路面が緑色に塗られる気配がない。
気になるのである日、フラッシュ具合がちょうどよく写真を撮ると、暖かみある字が見られた。どこか記憶の底に放っておかれた字のようで、親しみ深い。


そうしてナマエを失ったわたしは、とりあえず緑色を探して電球のもと、彷徨っている。柔らかな光がわたしを包むの。

ねえ聞こえる? わたしは、鍵穴じゃないの、人型、腰から上の
あ、鍵穴だと思ってた。ごめん、でもこの鍵はなんなの? わたしが、ずっと首に下げていた、記憶のない頃からずっとずっと……
「いい? 劇団『トマトの穴』! トマトの穴よ、いいでしょう!」
「渋谷の道玄坂の、ラブホ街の手前の通り、ヤマダ電機、やLABIの裏口が面している通りにあるパスタ屋かい? あそこでいつか青年が『触らないでくれよ! どいてくれよ!! と大声で言いながら早足で歩いていったのを、よく覚えてる」
「何エッチなこと考えてるわけ? トマトの穴ってのは、トマトがぎゅうぎゅうに詰まってる穴のことよ、そう、『マルコビッチの穴』みたいに」
「ビッチの穴! 君こそ何なのだい、卑猥きわまりない……はは、あはは」
「…茶番はやめましょうよ、ねえ、人生で大切なものは、何?
「……」

愛と不倫、しゅっとそんな考えがよぎった。よぎってついつい「愛と、不倫……」と言ってしまったが、言ってからどうもそれでいいのか? という気がしたので、その場を去った。あとあたまには、最近ネパールで見た緑色の景色がいちめんに、広がっていた。
あ、生き生きと生きること。どうだろうか。日々日々、違うものが思いつくけれど。

2011年9月21日水曜日

ame

小さい時は、アメーバ状でした。それで、お祭りの日に山車の後に皆ですわって、太鼓を叩いた。大きな太鼓は、大輪の花の、大きな葉のようだった。叩いているうち、うしろにころりと、転がり落ちた。山車は前に進んでいった。だけど。アメーバ状だったから、痛くなかったし、特に覚えてもいない。覚えてないものは、覚えてない。
そうして、大人になった私らは、ゾルゲル音楽をつくった。アメーバ状の人びとを保存して、いつまでも楽しめるように。湖に垂らしたり、フラスコに入れて吹いたりする。私らはうっとりして、時に大笑いして見ている。それは水面をたゆたうように広がり、水中に垂れゆくのか垂れないのか、微妙なところで留まる。留まり続ける。いつまでも続くイントロダクションのように、空間を満たす。

奏でているのは、彼がひとりで奏でている。ゾルゲル音楽を作ったのは彼ひとりだろうけど、それを鑑賞する人がいてそうなったのだろうから、私らが作ったということにしている。
奏でている間は、何かゾルゲル状のものが、あらゆるところから垂れている。垂れ続けている。それは彼の装置の一部で、じっさいに音に関係しているのかはわからないが、繊細なところで反響などに関係しているのだろう。見た目には彼が作ったゾルゲルの国があって、その中の威厳のない王様という風情である。
暗闇の中、ゾルが静かに垂れている。床で彼は今度は、ゲームボーイを音響に繋げて音を出している。そのあとクナイフという楽器を吹いている。ぴゅ、ぴゅうという音が、たゆたう。大きなフラスコに、マウスピースをつけたようなガラスの筒で、水が入っている。音はあとは、瓶に入れたゾルゲルをぷぅと吹いて、マイクで増幅したり反復させたりしている。時々で音やモノが増えたり減ったりする。

クナイフを作った人は、クナイフという。彼女は歌手で、ガラスの工作もしていた。ゾルゲルプロと同じくらいの背丈で、ある時酒を飲んで夜が明けて、私が電車で先に帰ろうとすると、2人で見送ってくれた、にこにこと手を振り続けてくれた。本当に素敵な2人だけど、今はゾルゲルプロは男一人になっている。何があったのかはよく知らないが、今でもクナイフはクナイフを量産しようとしたり、サポートしているらしい。

——ゾルゲルプロの「プロ」は、どういう意味ですか
3つあります。プロフェッショナルの「プロ」と、プロダクションの「プロ」。それと◯◯◯◯◯◯◯◯の「プロ」です。

——ゾルゲルプロの一日を教えて下さい。
朝8時ごろ起きます。9時からバイトで、17時に終る。18時ごろ帰宅し、2時間寝ます。起きて、ゾル作業をします。だいたい1時か2時まで。こうやって夜寝ると、目がさえるのです。バイトの後、時どき夜遊びにいくと、とても眠いです。

——座右の銘は
私は言葉を信じません。

2011年9月13日火曜日

utsurobune


サクー、何か、有名な寺があって、お祈りをしに沢山の人が来るからその名前なのではないかと、私は思います、と、通訳のアビンさんが言った。
小さな、交通の便の悪いところで、カトマンドゥからバスで1時間か2時間。その日初めてバスに乗って行ったが、バス乗り場に着くまで1時間かかった。それは方向感覚の無さのせいでもあるが。
道路ぎわに色々バスが停まって少年たちが何か、乗り出して様々に叫んでいるからそのどれか、かと思い「サクー?」と一人ひとりに尋ねて行くと誰も「違うよ」と応える、彼らも忙しいから、どれがそのバスなのかなどど教えてはくれない。忙しくないのは旅人と子どもくらいか。大人たちは仕事がなくとも、雨宿りをしながら茶飲み話に興じている。そこの何か、祭壇のようなところで。
いけない、ペンが走っていた何故か。そうじゃない、居間のことを書こうと思っていた。
ある人が本の中で、芸術はもう平面を抜け出し、3次元も抜け出し、そこらここらに散らばっている(赤瀬川『藝術原論』より引用予定)、といつか書いていたけれどその時は散らばったカケラが路上に舞っていたのだった。都市の無意識。それをカメラと言葉で、捕獲したのだった。
今はそれが、つまり芸術のカケラが、ネパールのひなびた村にあるように感じた。どうも、まだごく僅かだろうけれどの昨今の人びと、会って来た人たちのことを考えると、そのようにしか思えない。今のところ。
前置きはいらない、だからこれまでの段落はいずれカットされるだろう。しかし芸術、これは言葉として不自由。言葉はそもそも不自由なものだけれど、もっと自由な形象がされていいはずだ。しかしそれが、言葉ではとらえられないもの、つまり。
彼は彼の居間を作った。居間は3つの部屋に分れている。どれも窓や壁などなく、路上に開け放たれている。開け放たれたところには竹で編まれた頑健なテラス。部屋の内部はすべて水色で塗られ、3つを分ける壁は白かった。上の階は未だ建設中で、彼らの物置になっていた。


右端の部屋、壁に楽描きが沢山貼ってある。きっとそこにたむろし戯れる子どもたちが描いたのだろう。抽象的な葉っぱのようなものや、何か文字のようなもの、もとよりネパール語を介さないのでわからないが。
床には、円いイスのようなもの。それでもう一つ、藤椅子のようなもの、ぼろぼろでアヤシいが、子どもがいつも座ったり転がしたりして遊んでいる。
子どもの遊び方は、常に原初的なもの。ボールがあれば、ボールの投げ方を学ぶ。こうやって、ボールを、投げる。こうやって、受け取ります。こうやって、蹴り飛ばし、こうやって、当ります……。
真中の部屋、特に何もない。けど彼らは何か作業をします。イモを焼いたり、ニンニクを干したり、何か書いたり、機械を触ったり。だから子どもは入りづらそうにしている。

、、、、、

「(向って)右側の部屋。壊れた傘、子供用のサリーのようなもの、落書きされた紙切れ(植物、車、仏のようなもの、ミッキーマウス等等が子どもの手で描かれている。」
おじさんが、私の手元をずっと見つめている。色黒で、帽子を被っている。瞳は灰に薄青、とても美しいようである。充血している。何か、コトバを教えてくれた、ノートの左上に書いてもらっている。書かれ続けるままになっている。
「また、壊れたキレイな傘。また、落書き多数。ネパールのカレンダーのようなもの。等々が壁に貼ってある。割と整然に貼られている。少し、インテリアのような美しい調和がある。ここは子ども部屋のようになっていて、子どもはとりあえずここに集まる。
犬も来た。子どもは4人。それぞれに、壊れた藤椅子にすわったりイスを尻にあてて歩いたり、その上に乗ってくるくる回ったり、何かボードゲームをおじさんに教えてもらいながら遊んだりしている。
あと、棚のようなものに、不通のデンワや錆びて真黒になった地球r儀、錆びた箱などが置いてある。あとは、カゴが少々。これは彼らが物々交換(もしくはただもらう)に皆で繰り出す際に背負っていくカゴだ。」
とりあえず、子どもがどんどん膝や手足に集ってくる。まとわりついたり、慌ただしい。これが普段の仕事中だったら、何かほのぼのしていて楽しいが。
彼らはここで「居間」をつくっている。居間はネパール語で「バスネコタ」どこの家にもあって、寝そべったりご飯を食べたりする。豊穣な暇を、人びとに提供しているというか、暇な人たちをとにかく集めている、とにかく集めている。老人子ども、お母さん、こうしてここにいる感じは、どうもゆるやかで心地いい。
(シャッターが開く、店が始まる。開店時間は12〜18時19時。店なのだ。)
ただ人が居るだけで、竹のテラスに座っていて、人や鴨、犬なんかが行き来している。
居間3連の右となりは何だろうか、ゴミ捨場のようになっている。トリがいつも居る。
真中の部屋では、通訳のアヴィンさんがおばさんと話し込んでいる。何を話しているかは全く分からない。アビンさんは先ほどまで、何か大きい記録帖のようなノートに、書き物をしていた。
その部屋は作業場のような感がある。子どもはあまり入ってこない、トウモロコシやニンニクを吊るして干したり、鍋を火にかけて料理をしたりする。部屋の片隅にはドアがあり、その中の物置、バックヤード、は唯一外界から隠されていて、電子機器などがある。

、、、、、

ここはどうですか、他と比べて。潤さんにたずねる。
彼はずっと、名刺大のカードに何か絵や文字を描き付けている。村の各所でもらったものを描いて、大きな地図に貼っている。

、、、、、

他のスタッフは何処に行っているのだろうか。物々交換か、それとも何か、何かバケツを持ってあっち(左手の方)からやって来た。奥の方の広場へ行き、出したものを広げ始めた。洗濯だろうか。
左端の部屋には、服が沢山置いてある。ここが一番店と言えば店っぽい。が、何か持て余しているようだ、店にしようとしてうまく機能していない、あまり使ってないらしい。真ん中に足ふみミシンがあって、そこによく犬が寝そべっている。
右端の部屋に、念願のソファが入った。入った分、子どもが遊び場を無くすんじゃないかと気になるが、彼らは上手いことまた流れていくのだろう。ソファが入った分だけ外に。
「こう、人びとがいつも、求めて止まないもの、生活というものの、原型? 仮想生活という生活を、ひとつ面白みとして人びとに提案しているのか、彼らの生活そのものの時間を、賭して。
どう伝えるか、この新しいものを。彼は日誌のような、記録のようなものをよく作品に用いている。表現はその場で起きている。ライブの生活そのものの中で。その場を上手く、残そうとしている。そのような形で。
だから今回も、あの日ネパバイリンガルで書かれた日誌や、交換したモノを場所に紙で貼っていく地図、そしてLivingroom in Nepalそのものを映し捉えた写真と映像とで。
私はまず、livingroom - バスネコタを理解することから始めねばならないが。
バスネコタ、とただそれだけでそれだけのものなので、何だろうか。装置、机上の、もしくは舞台の、もしくはアートとしての、、、それらを超えた、現物の生きる装置とてあるlivingroomを、このサクーという村に、置いた。そうして日々、出合いなり対話なり、彼らの『仕事』としての物々交換[彼らがその名目として補助金をもらった文化交換などではない、潤さんのリビングルームというそのものの、ここでの発露]。」
ネパールには金は無いのだろうけど、どうしてか豊かな時が流れているような。水が多い。そこまで暑くない。植物生い茂る。。。インドに比べて余程やはらかなこの人びとの物腰が、証拠といえようか。
「しかしあのバスネコタの居心地は格別だった。村の人たち、子どもらもきっと、あの空白のような、いや何かようわからない居間空間に、安らいだ、楽しんだのじゃないのだろうか。?」
「特に、変わったことはしていない。ただ、新しい日常、生活を、現わしている。普通なのか、何だか。」
居間、私のうちにはない。ただ一人で、殺伐としていて、人はそうそう、集まらない。まあ、ふたりの時もあるけれど。
彼らはその中で(借りてきた器具で)食事をし、チアをつくり、飲み掃除をし、子どもと遊んだり、大人と会って話したり、次の動きについてミーティングしたりする。たまに、お婆さんが3人ほど集まって、そこにある食器でチアをつくったりしている。大人が竹のテラスに寄りかかり、世間話をしている。そういう時、それは特に「居間」らしく思われる。そこにある、居間。犬も寝転んでいる。
ちょうど3週目が終り、限られたひと月の最後である4週目に移る過渡期に私は居たが、そのように至って「普通」の明け暮れもしながら、彼は、どうこの居間をクライマックスに持っていくか、悩んでいた。だから、居間にあるもの、これまでの仕事で得てきた品々を使って、仮装行列を作ろうとしていた。その村に永く続く、お祭りの行列に対抗するように。
1日に数回、バスネコタの宣伝、そして品々を集める物々交換のため、彼らは町を練り歩く、一周する。
「ジャンマー、ジャンマー」「サッター、バーター」「バスネ、コタ」「……」「…」
と節をつけて呼びかけながら。子どもたち、時に大人、お母さんなど交えて。
枠内で動きつつ、村人をあっ、と言わせることが出来るか。日本人がヘンなことやってるな、と興味半分で来られるのではなく、単純に面白い、超えて魅きつけることを、考えていたのだろう。
しかしlivingroomの基本は、日常を過ごすこと。新しいそれでありながら。
そういった落ち着いた「居間」らしき空間・時間は、たしかに村人らを巻き込み作られ始めていたように思える。それを、こう一種非日常的なやり方で「仕事」を拡張することで壊してしまいやしないか。「居間」づくりの中心の一人である山口さんがそう反論した。

その2

昨年の夏、ネパールに居た。五日間ほどだけれど。
秋のある時、岐阜に仕事で行った際、河で、知り合いの画廊の人が、若い人を一瞬、紹介してくれた。その時は名刺を交換しただけ、よくわからなかったけれど、かっこいいデザインでしれっと、「・・・八雲事務所」とうしろに書いてあった。たまに名刺の整理をしていると目について、うん、シャレてるな、と思っていた。
彼のことなど想い出さない日々が日々、日々と繰り返すうちに、6月になった。
日、郵便物の中に、ひとつ目についたものがある。爽やかな、陽があたる白い建物、ひとり、あるいは数人、人びとが床にたむろしている。遠景の地面でも、何か人びとがたむろしている。建物の上には旗がはた、としていて、白い鳥が残像のように舞っている。
あれ、これは何と素敵なチラシか。ひらくと「Livingroom in Nepal」とある。あや、彼のことを思い出した。
一瞬しか会っていないので顔は出てこないが、いく分か確か、もっさりしていた。だから、こう、シャレたものを創り出すのにあるギャップが、引っ掛かる。引っ掛かった時点で、行くことは決まっている、行くことばかり思いがつのる。そこに行ってふらふらする図も浮かんでくる。折しも仕事は多忙に多忙で、休憩に外をふらつく度にいつか旅したインドの路上などが脳裏を過ぎる、引っ掛かった時点で、何か決めていた。ヨーロッパや南米ならまだしも、ネパールは射程圏内だ。
1か月、2か月、すると私は、ネパールに行っていた。夏休みの一週間、杭州の乗継ぎ便で、面白いものって一体何なんだか、何処にあるのか、そう問いてばかりいた私に、それは確かに面白いものだった、ようだった。
もちろん、ネパールにもとても、行きたいのだった。いつかインドにひと月居て以来、仕事が忙しく厭になるといつも、インドの何もすることがない旅人の、景色・時間が幻視され、心の中でああ、行きたい、と呟いていた。
夜なかの路や知らない路地などに、よく見出された、しずかな時間のあるところに。
20余時間ひたすら走り続ける列車、バス、汚い湖のほとりにたむろするインドの若者、仲良くなった不良の画学生(チェタン、といった)に連れて行ってもらった激レアな湖、ガンガーのガート、饐えたコンクリートの陽のさし方、沢山の犬。日常日ごとに暮らしていると、そこここの景色・場面にそれらを連想し、思いにひたる。
ところで最近、内田百閒の起床してから、仕事にかかるまでの時間のかかり方について、よく気になっている。詳しい内容は各作品に発見してもらえるが、起きてからかれこれ3、4時間、いやもっとかかっている、居方をととのえ、仕事にとりかかえるまで。そうしてその手順は何があろうとも崩すことはなく、たとえば何かパーティに出席する時でも、ああ、遅れていく、、、とあせり、あきらめ、残念の思いをかかえつつも、ただただ、身辺の整理?身支度に、没頭している、
もちろん、病気があること、また決して書かれなかった諸情況など、関連があるのかもしれないが、ちょっと長過ぎるという気がする。そこに何らか、秘跡がある。※戦後しばらく、ほったて小屋に「しゃがんで」いる頃の、起きてからのあれこれは、詳しく書いてある、それに似たようなことをしていたのだろうか。
ということを、最近つらつらと考えていたので、あの時間とこの時間は、何かもしかしたら似ているのではないか、という気がした。
123.5メートルのドラえもん。
夢を反芻する、仕事を整理する、昨夜書いた原稿を推敲・校正する。整理に始まり、机の移動、蕎麦を一枚、身辺の道具を手入れ、鉛筆の配列、吸い殻の整列。

、、、、、

だから、休みに入る2日前くらいか、数件の航空会社に電話して、ネパールに行くチケットを取った。
1日、杭州で過ごした、ここは言葉が全く通じないところで、何が何やら分からぬままにてきとうに宿をとり、夜ふらふらとさまよい、次の日も昼さまよい雨に降られ天を眺めたりしながら日を過ごした。
そこのところは割愛してつづけると、ネパールの地にようやく辿り着いたのだった、夜。
とりあえず客待ちのタクシーに街を案内してもらって、着いたのはPilgrims...とかいったホステルだった。
地に着いて街に出て、タクシーの運転手が「悪い奴ばかりだ」「・・・」「・・・」とテキトウな嘘ばかりつくのを聞き流すまま、もうインドをふらついていた時間がそのまままた始まったようで、嬉しくなった。
しかし、何が、嬉しいのか・・・。
彼とはメールで行きます、とだけ告げて、ネパール着いたから今日行きますと、次の日の朝、メールをした。
少し街を歩くと雨がさんさらと降っていて、次第に強くなってきたから歩き回って傘屋を探し、トレッキング系の店で頑丈そうな折りたたみ傘を買った。
それで午後とりあえず、タクシーで向った。サクー、という村。1時間か2時間くらいか。
運転手が何でサクーに行くんだ、観光案内してやるよ、と何度も言うけど私は知り合いがそこに居るんだ、過ごしているから会いに行くんだと何度か告げて分かってもらい、途中ふと停まったところでサッカーボールを買った。
ネットでちらり見た彼の「作品」のそこでは、子どもたちがわらわらと、遊んでいるようだったから、お土産に、と。
村について少し行くとグリーンのTシャツを着た人が竹を工作している。彼がそうだと直覚する。そこの内容は、写真や映像、そしてその頃居た自分が書いたノートに詳しい。くわしいはずだ。
とにかく不思議と居心地がよくて、そこにだらだらしていた犬、と同じようにごろごろだらりとしているばかりだった。そして数日後帰り路(素敵な通訳のアヴィンさんが送ってくれた)の車のなか、彼と話していて「新しいもの、じゃないですか、アートでもない、NPOでもない、文化交換でもない、こうひとつ、あなたの装置を街に仕掛けて、あなたの生活を賭してというかそのままに使って、というか、だから伝え方も新しくこさえないといけない。。。といったことを話した。そうしてまだ、伝えることを、出来ていない。
、、、、、
3か月、4か月、クリスマス・イヴ。彼と福島新地でまた会う。彼は仮設住宅で生き生きと何かしている。私はまた、ただ見ているだけ、足湯があって、気持よかったりして。
数回それまでに、彼に会おうとしたが、間が、会わなくて? 会えないまま。
何かまだ名付けられないものをつくっている現状。
そのつくられているもののただ中にいて。
、、、、、


「・・・」

ある人が書いたそういう小説があるけれど、それは美しくまとめられたある村の、ハナシ。その言葉がふと、妙に気になって、本を探した。すると、ちょうど同じ時間、届いたハガキに「虚ろ舟」とあったが、何か展覧会の知らせだった。こういうことがあると、何か感じてしまう、が、よくあることでもある。







2011年9月12日月曜日

ああ、それ

と言う間もなく、時が去ってしまう。仕事が佳境になると、2週間くらいぶっとんでしまう。身動きとれず、呼吸もままならない。しかしまあ、やってる間はそれはそれで、悪くないから、いいんだけど、
せっかく勢いで持って進んだ事事が 止まってしまう、寝てしまう。

だからどうしたいんだ、ってわけでもないけれど、、、

2011年8月29日月曜日

kami no blog 1 2

紙のブログWEB版②

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子どもが前を歩く、横を歩く、
わあと喝采をあげながら、無意味にこの休日を祝福している。
時には発情する猫のようにわああぁと哭いたり、自分だけの発見を得意げに語って聞かせ、あるいは、誰も知らない詩を口ずさむ。
子どもの妄想、止めどなく、血のように走ってるんですね、この世を、、、わあと宙に舞ったり、すあと海を潜ったり。
夢と現がごちゃとなり、ぐちゃ。
子どもと腕組みして休日の荻窪を歩く日を夢見る。また一方で、子どもをとても恐れる。私はドウブツを見るのはとても好きだが触るのは苦手でむしろ、無理。だからそれと同じように感覚しているのかもしれない。
「子どもの妄想ってナンですか??」 そう人に聞き廻ったが、その行為がおそらく、子どもの妄想のようなものだったろう。不条理で、もともと意味がない。ないわけではないが、どこにあるのか、、
妄想は子どものものではない、しかし子どもの現実認識はとても曖昧で、夢とぐちゃ。その認識の世界を聞きたいのだった。色々あるでしょう。そもそも覚えてないという人もいる。
、、、、、( 7行はいる )
腕組みして、考えている。

Jun 19

紙のブログWEB版①

またたく間に旅を

11/05/11
  猫がわたしを真っ直ぐ見ている。夜の路を、片目をかくして歩くと、視界に5匹の猫が見える。彼らは生け垣のそばを行く、わたしが歩くとそれにつれ、手で回 すフィルムをまわすように、横を通りかかる、一匹がもう一匹を追い越し、うしろの一匹が追いすがり、前後しながら前に行く、先には垣根の曲がり角があっ て、下水溝がある。だから近づくにしたがい一匹ずつ、垣根の向う、林の中へと消えていった。

それはわたしの夜道のおよそ100メートル か、駅を出て左に曲がり、床屋のある角から次の角まで行く路の半ばまでのことだった。はじめ、駐車場に猫がいる。それはいつもいるから、いるかな、いるか な、と思っていると大抵いる。別に何も考えてなくても、いるから、ああ、いるなあ、いいなあネコはよ、と思ったりする。

けれど1匹と思っ ていたのが2匹、3匹と増えていって、4匹になったのはとりあえずいい気がした。そうして4匹を見送ると、その下水溝のすぐ先、最近空き地になったところ に一匹の猫が佇んでいる。座っている。こちらを見ている。やあもう一匹居てよかったなと思いながら横目に見ていると、わたしが歩くにつれ猫が顔の向きを変 える。後に戻ると、また後をみやる、暗くてよく見えないが、光る猫の眼はわたしを確かに見ている、追っている。

立ち止まる、少し猫に歩み寄る、すると同じだけ猫は遠ざかって、けれどまた同じポーズで座っていて。

何 だかだんだん小さい人のように見えてきた、男とか女でもない、原初の人のような、仏のように見えてくる。しかし仏の耳はぴんとたっていて、その日みたウサ ギの木彫があったのだけど、それは端正なカオをしていて、真直ぐに耳が立っていて、ちょうどそのように猫の耳が立っていた。顔は小さく、しゅっとまとまっ ている。

わたしは女性に魅かれるようにその猫に魅かれていた。立ち止まって足は離れない、彼女もこちらをずっと見ている。そうして人の通ったり車の音がするとふと、そちらを見やる、けれどゆっくりとこちらに顔を戻す。

その外し具合が何とも素晴しく、見てもいいのよ見なくてもいいの、そう夜の目が言っている。

わ たしは先ほど細野晴臣の最近文庫になった対談集を読んでいて、対談というより抜群の聞き手が細野氏の言葉を汲み出すような案配なのだけど「そば打ち」とい う項に素敵な言葉がある、ちょうどそう悩んでいたのだった、だから何か素敵に聞こえたのだけど、「人は未来が見えなくなると過去にこだわるようになるんだ よ」そう言っている。さいきん放っておくと過去のことばかり文章にしようとしているから、よくないと思っていたから。

だからわたしは猫と未来について書こうと思った。けれど猫に未来はあるのか、猫の花嫁さんか、それはいいのか、とてもいいと思う。

ああ今地震がしている。猫はどうしてるだろ、

猫が走った、稲妻のように、ゆっくりと走る。

2011年8月28日日曜日

onceday go


11/03/001
朝さ、6時くらいに、出たのかなあ。現地にメシがないってハナシを聞くからさ、何年ぶりかな、朝飯お代わりした。メシ二杯むりやり食ってさ。
で、まずね成田空港の警察署いってさ、腕章をもらうの、緊急車両のパス?かな。トイレいくと、自衛隊の人がずらっと並んでて。すれ違うとみんな、おつかれさまですっ、って言うの。駐車場は、クレーンも、いろいろ並んでるんだよね。
それで高速を走り出す、車いっぱいいる中、赤十字のクルマがすっごい勢いで走ってくの。
仙台のホテルついてさ。ちょうど隣の食堂だけ空いていて。どこか飯食えるとこあるかな? 
って言うと「そんなんないわよ」って人数分オニギリ作ってくれた。
最初は、塩釜ってところ。船とかがすごい(乱雑に転がってる)。
で、何故か、現像した写真がすごいいっぱい落ちてるんだよね。結婚式とか、卒業とか、赤ちゃんが生まれたとかさ。
自衛隊の人がこういうの探して調べてるのかな、と思って聞いてみたんだけど、そうじゃなくて。
異様だった、量が。だから、こう津波がぐあっ、と来た時に、あわてて、ひっぱりだしたのかな、と思った。
(目についたって感じじゃなくて?)そうじゃないと思う、異様だった。量が、どこに行っても。
[写真]これ松島ね。
これ避難所ね。
黒板がある。避難所を全て把握できてないから、物資の届けるのが、均等にはいけてないんだよね。おれら報道なんだけど、すごく期待されて車を待たれるんだよね、外から車が来ると。物資がきた、って思って。みんな、すごい見ている。
[拾ったもの]これとかさ、8時だよ全員集合とこれ(スナック)がくっついてさ、なんだこの情況、って思うんだよね。
[写真]ここらへんにさ、死体がぶあっと並んでたんだって。安置所でもなくて、ただの路。
ツイッターとか見てるとさ、なんか感情的になっていて。俺も、エモーショナルだったよね行く前。
でも現地に近づけば近づくほど、人は感情的じゃなくなるんだよね、やるしかねえ、と。みんな、シンプルよりシンプルでさ。
でも、なんかね、何も感じないの、現地で。すげえ静かなんだよ、妙に。悲しくもならないし、恐いとも、思わなかったし。がんばろ、とかやるぞ、とも思わない。
[クルーが撮った映像]この子がすごいんだよ。学校に避難させられて、体育館で、天井まで水が来たんだって。それで溺れてたところをセンセイに助けてもらったんだって。それでも、ちゃんと喋るんだよね。家は、一階から二階の間まで津波が来てて、茶色い一階の壁は全部、土なんだよね。塗り分けたみたいにきれいに分れていて。
やっぱね、河沿いがぶっこわれてたよね。多分ね、地震で壊れた家ってそんなないんだよね。津波には家が耐えられなくて、木造ばっかりだったから、壊れたところとそうじゃないところが、はっきり分れていたようだった。
[写真]わけわかんないでしょこれも?河なんだよ、河の上に全部浮いてんだよ家とかが、空けてない非常袋とか、これとかも。人が助けを求めてるとことかには、遭遇はしなかった。ウマとかさ、目から血流して死んでんだよね、これがショックベスト3に入る。人間は、来た、とどうしよう、と動けるんだけどさ。こいつは、分からないんだよね。違う生き物にさ、首繋がれたまま死ぬ。人は回収されるけど、ウマは回収されないんだよね。ウマはね、ショックだったな。
[写真]エロ本が散らばってたよ。こっちの奥に電車がひっくり返ってんだよね、走ってたのかな、流されてきてさ。
また、写真。すげえ多い。若い人はあんまいなかったのかなあ。写真たくわえているような。
緊急車両で行けるエリアってのがあって、境界のところで自衛隊の人たちが、待ってる。そこで通訳して、こいつら行くって行ってるんで行かせて下さいと。でも、泥だらけだから何も見えないんだよね。釘とかいろいろあって。で、一歩目ですぼっ、と刺さったんだよね。ナイキ履いてたから。クルーの人たちは慣れてるから、ブーツとかそういうの履いてた。一緒に居た彼らはさ、カトリーヌとか、世界中の災害をまわってるプロでさ。まったくもって場を持たない。伝えることがプロフェッショナルだと。凍えてるおばあちゃんとかも、フラッシュすごい焚いて近くで、撮るんだよね。
で、ここからはさっき言った、ひっくり返っているエリア。その町に、アメリカから来てる英語の教師がいるっていうのをコネクションで見つけて。このクルーは、最前線に行くっ、て感じじゃなくて、津波を受けた人のドキュメンタリーを何ストーリーか撮る、というのが目的だったみたいで。
そこは、東松島ってところで。で、雪降ったのよ、15日だね。(この日、初めてシャワーからお湯が出た。それまで電気ガスはずっと止まっていた。)ここは、どろどろ。でも、どろどろの中でいきなり晴れたのよ。空晴れてて、(写真には写ってないけど)雪降ってて、建物ぜんぶ壊れてて、でもおれ、生まれて見た景色の中で、一番美しい景色だった。とてつもなくきれいだった。びっくりしたな、、、
[写真、動画を見ながら]で何かね、こういう(復旧作業?片付け?)のも、自衛隊の人たちあまり上手じゃないんだよね、ここに死体が並んで入ってる。小学校の入口に車が突っ込んでる。(誰かが教えるのか?)自然にそう考えるのか、畳で路をつくってる。カメラを向けると怒鳴られる。ゴーが謝る。あまりにも厭がられたら、やめる。被災者へのリスペクトだという。ここは3階、ランドセルとか置きっぱなしで、自然、そのままになっている。
ここは、お寺の本堂みたいなところで、300人くらい居るんだ。はじめに俺がお坊さんに許可もらってさ。クルーと入ると、ふすま空けて入ったらさ、すげえ湿度が高い。溺れてるの助けられたのか、みんな凍えてるのを振るわせて、体あっためてて。ストーブ一つしかないんだけど。余命もともと短えだろ、ってじいちゃんとかばあちゃんがさ、個々が、生きてやるぞ!ってエナジーが漲っててさ、誰かリーダーになるんじゃなくて。溺れてるとこ引揚げられてさ、体ふるわしてるの。
クルーがカメラを回すんだよ、容赦なくさ。ひたすら俺は謝る、ほんとすいません、すいません、と言うんだけどさ。別に怒るわけじゃなくて、淡々としていて何もしない。その人たちがさ、何処で流れるの?って聞かれて、「アメリカです」っていうと、この90歳のおばあちゃんの孫がサンディエゴに住んでるから、見ますかねえ、って言ってて。
お爺ちゃんが持ってるバナナとかが、相当痛んでてさ、だから相当待ってて、食料来ないんだろうな、と思った。
フツウのカメラしか持ってないから、何か失礼だな、と思っておれはちょっとしか撮れなかった。
で、終って、ありがとうございました、といって照明の黒人と、タバコ吸ってたんだ。そしたらそこの小学生くらいの子がさ、黙って来て、せんべいもって来たんだよ、びっくりしすぎちゃって、お辞儀しか出来なかった。
一回、撮影してるときに自衛隊の車来てさ、「水が来るんじゃないか」ってすごい期待してさ、みんなペットボトル持って出てくんだよ、こうやって、車空けようとしてる奴とかもいてさ。でも、水じゃなくて、何だ違うのか、と戻ってった。
せんべいは、すごいうまかった。80とか90のお爺ちゃんお婆ちゃんなんだけど、すごい生に対するエナジーというか。生きる、って必死になるってことなのかな、感情ってのはオプションなのかな、と思った。だからこの寺が、一番の体験だったな。何でここに来るか、ってことが、報道の価値みたいなものが分かったというか、胸はっていれるようになったというか。
黒人のやつとか、あと運転してるイタリア人とか、いつもサボろうとするんだよね。で、車が倒れまくってる塩釜に着いたときとかも、着いて、いきなりその車に向って立ち小便するんだよね、あー死ぬかと思ったー、とか言って、「マジかよ」と思って 笑 ほんとに生意気だし、同情とか全くないんだけど、あの子に寺でせんべいもらったら、後でみんなに説明して、割って配ってた。そういうとこあるんだよね。
で、この朝いきなり、東京に戻れっていう指令がいきなりきたんだよね。原発があまりにもヤバいからって。で、車乗って、福島通るときだけは何もかも閉めて通って、そしたら、その黒人がいきなり屁こいたんだよね。音はなかったんだけど、あまりにも臭くて、外人っぽいなと思って色々聞いてると、あいつだってわかって。
帰路をしばらく行くと段々、笑いも出てきたよね。黒人とイタリア人はずっと酒飲みながら、笑いっぱなしだったけど最初から。
でも、とにかく、きれいだったよ福島。
東京近づいてきて、この辺りから、何でだかわからないけど、わくわくしてきたんだよね。
で、ホテルオークラについて、アメリカの核の専門家にインタビューするのね。で、イタリアの奴が、曲がった機材直すのに、オークラの部屋の机に、すごいガンガン叩くのね、机がぼろぼろになってさ。国民性出てたよね。
で、インタビュー終ってさ、専門家が、「私は明日、アメリカに帰るけど、一週間何もなかったら、帰ってくる」すごい美人だったけど。
で、終った後、プロデューサーは、「いつでも国に帰っていいが、どうするんだ」と聞くんだよね。「成田でも米軍基地でも、行ったら帰れるように手配してあるから」って。こう、ノーって言うタイミングを用意してあげながら、聞く。で、東京がパニックになるのが一番恐いから、こういう時はこう、って説明する。で、避難所のハナシとか、アメリカがこれからこう動く、ってな説明をして。で、通訳はもともとの人が一人だけ行って、半分くらいまた福島に行ったんだよね。
で、とりあえず落ち着くために飲もうかって言って、六本木の店に、焚火用の一斗缶持って、行ってね。
[写真]これはバンソウコウと消毒薬、釘踏んだからさ、ずっと、自衛隊にもらったやつだから大丈夫、って言われて、ようやく貼ったんだよね。
ツアーはまあ、こんなところかなあ。

2011年8月9日火曜日

アメーバ状の音楽

ある時わたしらは、はじめ、アメーバ状だった。そうして音楽を作っていたのだけれど、なんかそれはたゆたうようで、永遠に続くイントロダクションのように聞こえた。
ある時彼が言った「楽器をつくろう、筒に何か、おさめて、、」
そうして彼は、ゾルゲル音楽を作った。ひとりじゃ出来なかったから、女の子が手伝ってくれた。彼女の名がついた楽器を置いて、 彼女はいまは去った。
楽器はほんとうに、新しいものだった、ガラスの筒、フラスコのような筒、水を貯めて、 尺八の原理で音が出る。
彼ははじめから、その音を奏でる事が出来た。



なんというか、楽器は、ひとつでも楽器だったけれど、楽器





には、量産されなければ認められない、という不思議な性があります。


か?

2011年8月6日土曜日

1

海辺の・・・

海辺には、私と・・・二人がいた。海辺では彼女は、手を振って、私を掘って、掘り
出して、とホモの女役のようなことを言っていたが、彼女はたしかに、女だった。別
の男も証言している。彼の名前は、出さないが。
私は、彼女を掘ろうとした、砂の浜に手を挿して、一枚一枚、かき分けて。
彼女は、私の原稿だった。初めて書いた長編小説。だから「彼女」というのは私の妄
想であるのだが。

ここで一つ、妄想、と、長編小説、について考えたい。
妄想というものは、大人の、何か性的欲望に関するものだろう。字面が妖しい。イメー
ジが疾しい。
長編小説は、小説とは何か、という問題がある。そして、長編ともなると、何だか抽
象的に思えてくる。空の雲を適当につかみだして、ほら、新作が出来た、と言ってい
るような。

彼女がこちらを振り向いた。小説のくせに、いやに人間くさいが、しかし小説は意外
と、人間より人間くさいこともある。だからそんな彼女を許容した。

3メートルくらい先、こちらを向いて何か待っているようだ。目つきが、悩ましいよう
な。そうでもないような。

そうだ、私は不意に思いついた。「子どもの妄想」って言葉は、どうだろうか。妄想
は子どものものではない。けれど、子どものイメージ力は、大人より余程素晴らしく
自由で突飛だ。例えばお母さんが野に飛び回ったり、怪獣がビルの上に住んでいたり、
かと思えば自分はぴゅんと宇宙を飛んだり、好き放題何でもありだ。

ありがとう小説。ありがとう今夜。

そう思った。けれど、小説は浜のあちらで、まだ足を組んでほのぼのとしている。幽
体めいて。おい、泳ごうじゃん、そう声をかけると、
「泳ごうって言ったのは、私じゃない。何で、いつもそう都合がいいの、私をさびし
くさせるのばかり、上手なのね」
というと彼女はすっと起き上がり、裸身を煌めかせて波間に飛び込んだ。
「別に、いいんだけどね。じゃあまたね!」
そう言うとどんどん彼女は、音も無く泳いでいく。影がどんどん遠のいていく。
私があわ、どうしようかな、そう考えているうちに。
よし、泳いで追いかけよう。

その前に、タバコを一本吸おう。私は鞄からタバコを出した。くわえるが、火が見当
たらない。手は鞄を探っているが、なかなか見つからない。少しして、今日はライター
を持ってないんじゃないかと思い当たるが、手はまだ中を探っている。
はて、ズボンのポケットには入れてないだろうし。。
そう思いポケットを探ると、奥に小さなライターが控えていた。

火をつけて、ようやく吸う。吸い口は、少しくわえていたせいで、よれっ、としてい
る。彼女を思い海を見やるが、もう姿形が見えない。どこにいったのかな。

タバコを吸いながら、眼で海の先を追っている。空も水も美しかったが、全然記憶に
ない。ただ波間を、遊ぶように泳いでいったあの人だけを、勝手に思い出す。