2012年12月19日水曜日

ここのまvol.2

 
えーとすいません、遅くなりましたがお手伝いしております下北とアートのフリーペーパー「九間(ここのま)」第2号発刊いたしました。お求めはお近くの下北沢の置いていそうなお店、もしくはぼくが居るようなところ、関係者の人からもらってください。フリーですのでお代はいただきません。
詳細ご案内・ご連絡さきはこちら→http://www.g-hana.jp/2012/11/post-97.html

井上光太郎さん、タウンマーケットミヤタヤ、アンドレア。そして幻游社、ニヤマダンモさん。リンチの展示に置いて欲しいくらい、たまさかに秋の夜あやしき発光が、コンセプトアルバム、もしくはEPのように揃ったようです。もう冬で、リンチの展示も終ってしまいましたが、面白いですよ。秋の夜の夢だった! いや、何だかいつもの夢だった! 
ええとどうでしょうか。まあ、よろしくです。

次号は年明けの発光あ、発行のようです。
カンケイないですが、指圧と師走は似ていますね。 

2012年12月12日水曜日

風街の日



ええとすいません。 終ってすぐに何か報告をアップしようと思いましたが無精のきわみにいたってしまい特に更新しておりません。でも何かアーカイヴをすることは、ひとつ記憶を記録にしてしまうことですからね。そう「深夜特急」を書き終えたサワキコウタロウも言っていました。もう少し、生まの記憶のままに。ええ言い訳ですけど。
写真は、クロタヌキさんが置いた、絶妙な棚です。

ご報告をいたしますと、入場者数は74人。入場料の半分と、物販・食事の、アQ、給食当番、TROISさん、銀細工工房veronichicaさん、そして任意の寄付を合わせて、50,000円。カトリック世田谷教会に寄付しました。クリスマスに教会より行われる、いわきの被災者支援センターの寄付へあてられます。

関係者の皆様のインフォにつきましては、前回ブログのご案内と、以下列挙します各リンクから飛べるかと思いますが、近くあるのは16日のサンデイ蒲田。15時からゆるゆると? クマに鈴主催、Daniel Kwonやハツさんも出演の、楽しい会かと思います。じゃっかん、るるどの忘年会のようでもあります。

最高の午後でございました。
また蒲田でとりあえず。

以下出演者みなさまのリンクです。お問い合わせご提案、感想クレームなどある方は、
midoriirosan◯nifty.ne.jp まで、お気軽にご連絡くださいませ。

下北沢カトリック世田谷教会 

クマに鈴 
アQ
ハツ(ex 虫の知らせ)
クマに鈴
ダニエル・クオン 
JANIS CRUNCH 

アQ
給食当番
TROIS 
銀細工工房Veronichica

クロタヌキ
”せせらぎ” shogo koga
よしさと君

ほかにもお手伝い頂いた方々、協力頂いた方々、たくさんいらっしゃいます。
ほんとうにありがとうございました。また、是非。

そのうち動画、写真など、ぼくは撮ってないですが収集してお載せしようと思ってるのですが、ごめんなさい足が追いついていないのです。まあせっかくだから当日の明け方、熱に浮かされたように書いた当日パンフの文章を転載致します。

 風街とは言いますが、それはそもそも「風街ろまん」に言葉をいただいております。言わずとしれたはっぴいえんどの超名盤です。僕にとっては、なんら古くないというか何よりも新しくさえ聞こえる。未来のジプシーたちの唄のよう、豊かさに溢れているように思えます。けれど、ある人は天才たちが偶然であった事件だと言うし、またある人はつげ義春の漫画のよう寂寥感ただようアルバムと言うし、ある人にいたっては Grapevineの「風待ち」という曲と勘違いしていたりし、てんで色々です。
  しかし風街は風が生きる街なのか、風が吹く街なのか、そもそも風とは何なのか。てんで正体がつかめない。水みたい。いや水よりよくわからない。魅かれつつもつかめない感じがまたミステリアスで魅かれるのですが、ここである人に聞くと風というのは「顔をあげた時、気づくとあるもの。 触れたらちょっとヒンヤリして、あっと思うもの」と言うし、またある人は「風吹く街の人びとの肌が、ある痛みを思い出すような。そうして祈る。音楽はすべからく祈りであるから」だからルルドだそうです。ええと、そんな性格俳優たちによるイベントです。 クマに鈴のレオくんの一言から始まって手作りでどうにかこうにかここまで来ましたが、きっとこれは私らは、次の展開があることと思いますので、どうかこれからもお付き合いをお願い致します。
  まあそんな口上は置いておいて、現場が全て!  本番が全てなのです!  好きなだけ楽しんで下さい!  最高の午後を!  18時過ぎより打上げをいたしますので、飲みにいかれる方々、よかったら是非合流下さい。というか合流する前提です。お店はイベント終了時にお伝えします。(注:決ってなかったのでお伝え出来ませんでした。すいません)
 さて本イベントはチャリティーライブ&ミニバザールです。入場料の半分と、物販の売上げの一部を、会場のカトリック世田谷教会に寄付いたします。クリスマスに教会より行われる、いわきの被災者住宅サポートセンターへの寄付へあてられます。
 お越し下さったすべてのお客様に、今年一番の感謝をささげます。 欧米風に言えばサンキューマイメン。新しい出会いが沢山あるといいです。どうか最高の午後になりますよう。 


ほんとうにありがとうございました。

2012年11月11日日曜日

風街るるど


12月2日(日)の午後。下北沢、スズナリやユニオンのある辺り、少し坂をのぼったところにある、下北沢カトリック世田谷教会にて音楽+ミニバザールとご飲食なイベント「風街るるど」を行います。 風街とは大口を叩いたみたいでもありますが、私らが「14時の恋人たち」とか「クマに鈴と過ごす最高にスウィートな午後」などとタイトルを考えているうち彼が「風街……はどうかな」と言ったのでよしそれだ! と決まりました。いいじゃない、爽やかで。まだ見ぬ、風街の風、そこに走り去る幻たち。しかし「走れ、走れ」とすごく明るい。あはは。で、 企画は、クマに鈴のレーベル「鶏口午後」、僕、WEBショップのアQ

エントランスは1,000円。半分を、教会に寄付します。クリスマスに教会より行われる、いわきの被災者住宅サポートセンターへの寄付へあてられます。

イベント時間帯は14時〜17時で、出演者は美麗なピアノのJANIS CRUNCHさん、僕がショーン・レノンを勝手に想う、美しい唄とストレンジなノイズのダニエル・クオンさん、パッショネイトな3ピースバンド虫の知らせと、この前ブログに書いたクマに鈴です。
フライヤーの時点で3種類ある、摩訶不思議なイベントです。掲出のフライヤー(Photo by Natsu Ohara)はぼくが作ったものですが、アQ作と平木元氏の、素敵なやつがあと2つあります。見つけても違うイベントと思わないで下さい。全部集めたら一杯おごります。

それと食事は、ホットワインとトリッパ、おでんにポテトサラダ予定。アQと、ケータリングユニットの給食当番さん。※花金漬はやむなく中止となりました。さかもとは来ますが。
それで、クリスマスにぴったりの物販、大道芸、インスタレーションを種々揃え、お庭はミニバザールの様相となります。
アQがWEB上で販売しているカバンやグッズ、アクセサリー等を販売するほか、スウィートなオルゴールの作り手、TROISさん、アクセサリーをVeronichicaさんが出店します。
会場装飾を、現代彫刻的な浮遊感のクロタヌキさん。それと夕方頃からですが、”せせらぎ”さんによる、巨大な羊の姿をした大道芸が始まります。会場設計は、よしさと君です。

ああもう12時、ではない、12月ですね。それは風のように、気づく間もなく。師走とか言いますが、今年最後の箸休めに、お越し下さい。 終ってもまだ5時だからそのあとぱーっと飲んでもまだ8時くらいという最高の午後になる気がいたします。ちなみに18時すぎより打ち上げしますので、よければ皆さんお越し下さい。詳細は当日お伝えします。

あと、しごく内輪な情報ですが、京都からテツオも来てくれるそうです。
彼は「晴れるねえ」と言いました。ええ、抜群に晴れます。よろしくどうぞ。

2012年10月22日月曜日

クマに鈴

熊の巣穴の深みから飛び出るフリークポップ
 
 夜中、やさしいギターの音がする。どこかへ連れて行ってくれる。甘いコード、ゆっ
くり弾いてる。井の頭の池の向う側から、かすかに響いている。そっちに行かなくても
、静かに聞こえる。時おり鴨の夜鳴きや人らの笑い声、酔払いのあいさつの声がする。
アコーディオンもかすかに響く。

 クマに、鈴。熊に鈴は似合わないだろう。ましてや鈴は熊よけに使われるくらいだか
ら、鈴をつけられたクマは、うんざりしてしまうだろう。滑稽ともシュールともつかな
い、よく分からない図を想ってしまう。
「先生、音楽とは何なのでしょうか?」音楽そのものに一心に溶け入ることのできる人
らがいる。楽器を奏で出すと、楽しくて仕方がない。楽しいうちにやっていると、何か
作品が出来ている。もちろん、そればかりでやっていける人というのは、ほんの一握り
だろうけれど。彼らはとんとそうでない。悩んでいる。彼らの言葉や映像を見れば分か
るけど、自分たちの出せる最大限の形象を求め、もがいている。この楽曲からは、もが
きぬいて解き放たれて、浮いている悩みを感じる。「キーワードは“生身”です」生活
していることの不可思議を不可思議のまま、宙に解き放っている。
そして、素敵にしゅっとまとまっている。だから色んな感情、冗談、本気、入り混じっ
てふいと顔を出す。そこに触れ、新しい仲間に出会ったように急に笑いが止まらなくな
ったり、急にシリアスな気分になったり、触れ過ぎてウルサいから一曲跳ばしたくなっ
たりする。

 音楽や映画、本や芝居。好きな人はどんどん深みに入っていき、あまりに好きだと深
みから出るのが厭になってしまう。人はそうして、マニアックになる。マニアックにな
ると、あの人はマニアックだから……と人びとから敬遠されたりする。しかしマニアも
マニアで、わかってはいる。深みに浸って、ひとりか数人で、楽しんでいながらも、同
好の人が少なく、大きなライブやパーティもないものだから、分かり合えないのは仕方
ないけど、寂しいなとも思う。持て余したりもする。結局趣味というのは、一面、空虚
の穴の周りを懸命に廻っているだけなのだから。

 クマに鈴はきっとマニアだ。音楽の、濃厚な。でも、そうマニアックでありつつも、
誰にでも伝わるものを作りたい。そうして悩んで、たぶん人間力でもって、面白い音楽
をつくった。親しみやすいメロディー、アメリカーナのようなアコースティックを基調
に、時に電子機器やラップを交え、こだわりぬいた美しい唄をつくっている。

 どこか懐かしいメロディーでもある。気づけば音は、頭のどこかでエンドレスに再生
され続けている。愛おしいポップスのように、怪奇現象の音のように、とても優しく、
ささやく鈴の音のように鳴り続けている。「斉藤さんと、横山、田中……」とか。
 
それは悩ましげな、素敵なデュオなのです。
11月11日。ポッキー&プリッツの日ですね。その日に1stアルバム完成記念パーティを
するそうです。皆さんお集りをお願い致します。場所は幡ヶ谷、forestlimits。

いろいろと、人も出るようです。詳細はこちらでしょう。
http://www.myspace.com/kumanisuzu
  
  
よろしくです。

12月2日に彼らと共同企画でイベントをする予定です。追ってお伝えします。
 

2012年9月16日日曜日

ツルレイシ2

ゴーヤが気になって調べているのだけど、本名はツルレイシって言うらしい。何でゴーヤが気になるかと言うと、HOWLという雑誌をつくろうとして、それがたち流れそうになりまたCALEという雑誌をたち流そうとしているところに、彼が言った「ハウルとケールとゴーヤ」その語感に手応えを感じたので、ゴーヤについて調べている。何か可能性を求めている。
それにしても夜は長い、あれだけ飲んでそれで散歩して、寝過ごしてようやく終電で吉祥寺まで行き着いてもまだ月はナナメ、猫の眼のように光っており、公園の池にもコイや鴨、ギター弾きや酔っぱらいなどが群れ騒がしい。けれどまだまだ静寂の方が勝ち、静寂のなかオデンのコップにビールとサイダーを混ぜて飲んでいると、ああ、夜は長いなあ! と思った。いや何を思ったかは色々思ったけど、夜は長いなんて思ったろうか、分からない。うんでも長かったようだった。だって未だ続いている。
夜空が藍色で青色で黒くて、月が木の間に白く黄色く輝いていて、そんな絵を描きたいと思った。帰ってすぐにそこにある板に色々塗りたくったら、途方も無く空とは違う色面が出来た。月のかたちもそこには無い。
最近久しぶりに絵を描いてる。何だか砂丘のように本やらうずくまっていた部屋、気を吐いて片付けると足の踏み場も空間も色々出来ていて、とても居心地がよくなった。だから、といってもそれは今日のことなのだけど、今日からまた絵を描き始めた。
文章が書けない、ああやだ、もう内容がない、目的ないと出来ない! そう思って筆がまるきり進まなかったのだけど、どうも絵を描いていると、書けるような気がするのは何故だろうか。
絵と言っても、何やら得体の知れない物物を 貼り付けては、放っといて、塗りつぶしては、放っといて、、という事を繰り返すうちに出来ているような、抽象的なものであって、何かボナールのような、確固たる形象をデッサンを、描きたいのだけれど、素養も勉強もしていないので、一向にそうはならない。なれない。きっと、何かを一心に描く―描写することで、カタチというものは出来ていくのでしょうか。何かあるカタチをそのまま使うのでは、なくてね。



2012年8月19日日曜日

CALE

 ジョン・ケールは、音楽家である。一般的には、ベルベット・アンダーグラウンドでヴィオラを弾いたりピアノを弾いたりしていたが、ルー・リードと喧嘩して辞めた人として知られる。「Velvet Underground and Nico」、狂乱の「White Light White Heat」まで参加している。日本では、ルー・リードやニコ、あるいはウォーホルほどの知名度はないだろ。
 写実的な自画像、顔に白い油を垂らしたような自画像のジャケットのソロアルバム「Vintage Violence」は有名。「Hello, There」爽やかなけれど何だか奇しい、何とも言えないポップ・ソングが流れる。何というのか、60年代が、つまりロック全盛の時代が終って、パンク、ニューウェイヴ、等々が流行し出す頃、そのあわいの時代の音? なのだろうか。でも、作品にはどれも通底する奇しさがある。それでいて、インダストリアル・ノイズ、カットアップ等々のウォーホルの映画のサントラ、美しく詩的なピアノソロ、テリーライリーやイーノらとの共作、はたまたパティ・スミスやストゥージス、ニコらのプロデュース・・・色々とクールにこなしている。
 先ほど、時代をはっきり確かめずに言った。それで「Vintage Violence」を調べたところ1970年の作。合っている。けれど、どうも60年代70年代80年代・・・よく取沙汰される言葉だけれど、はっきり分からない。まだ終って間も無いわけだから、それにたかだか10年20年、歴史に書かれる100年200年ではなく、人がまだ全然生きている程短い距離。たとえば日本で、印象派が実はアヴァンギャルドな存在だったんだ! チンポムと一緒だ! いやもっと凄い! と言われ始めているのがようやく最近なわけだから、きっといくらでも解釈はあるだろう。だから、私らは特に細かく気にしないでいいのではないだろうか。
 さて、ジョン・ケール。今、バイオグラフィーをネットで調べたところ、ついでに7年ぶりのフルアルバム発売の報を見つけた。たいへん喜ばしい。つい2、3か月前、新作EP「Extra Playful」を買ったが、ラー、ラーラーラーラーララーラーラー、と、いつもと変わらぬアヤシいポップを歌ってた。爽やかで、元気が出る。それで、ああ、いいなあ! と思った。それは彼が始終変わらぬ歌を歌い続けていること。淡々とアップデートし続けていること。存在感独特さ加減がキマっていること。
 今、彼の顔写真をグーグルで沢山見た。よく知られるのはヴェルヴェットの頃の黒髪長髪、黒サングラスでヴィオラを持つ姿だが、最近の氏は白髪の短髪、顎に三角髭をつけている。少し唇を斜めに曲げ、面長。本人に会ってみたい。会って何をするわけではないが、とにかく緊張することだろう。でもせっかく会うんだから、何か聞きたいこともある「生き生きと生きるにはどうしたらいいですか」。




いま初めて見たけどとてもクールなPV。少し古っぽいようで、クラシカルな要素も思うが、もう何かトんでいる。

 ですます調だった文章を普通の文章にしました。そのため読み苦しい場面があるかもしれませんが、ブログだから細かいところは気にしないことにした。ところでですます調じゃない文章はなんて言うの。タメ口? 知らない。世界に敬語なんてそんなにない。

何だかいい感じに飲んだなあ、という夜のトバリが開ける頃、Paris 1919が爽やかに響く。Fragments of Rainy Season。雨の季節の断片たち。
彼がピアノやギターを弾き語り、素朴でけれどたくましい唄。唄が響く。

2012年8月13日月曜日

ここのま


九間(ここのま)。発行日8月7日。フリーペーパーですが、美術家と街の情報を中心に、何とも言えない「下北」の熱を伝える雑誌です。表裏、九面ずつの折り方で作られています。

発行元は下北沢のギャラリーHANA。今回の表面と表紙では、同画廊が企画展示を行う菅原毅己をインタビューしましたが、次回以降はそこの作家には限らない、斬新な試みを重ねる気鋭の作家を紹介していく予定です。

裏面では、下北にいる人も意外と知らない「ルルドの泉」を紹介しています。今も古本屋芝居小屋ライブハウスが密集し、たまに訪れると右も左も分からなくなってしまう下北沢を、独特の歴史を追うことも視野に入れ、紹介していきます。

刊行は季刊、次回の発行は10月を予定しております。下記のギャラリーHANA下北沢のホ
ームページに「九間」ページを設け、九間の最新情報を載せています。何かのPRではなく、訥々と新たな「下北の文化」を発信する雑誌として親しんでいただけるよう、継続してまいります。



というフリーペーパーをつくるお手伝いをしました。
下北周辺、もしくはフリーペーパーの多い本屋さん、ギャラリー等で配布予定ですので、
見つけたらお手に取ってヒマな時に眺めていただければ幸いです。

お問い合わせは
hanaアットg-hana.jp (ギャラリーHANAクリエティブ)
まで、お願いします。



2012年7月20日金曜日

メロウな妄想

ある夜、あるイベントにいって、ヒップホップの人びとを見た。皆とても気が利いていて、ロックしてる! 文学してる! と思った。もはや絵画のようにクラシックな言葉になってしまったロックバンドよりも、余程。でも、ロックするのは人生でとても大事なことだと思う。言葉が古くとも、いま使えばそれはまた新しい。ウーネリーズがROCKSというのがとても新鮮であるように。しかし例えば今夜はブギー・バックのようなあれはあれでよくない? よくなくない? よくなくなくない? とそれはそれでロックしているようであるが、あのレイドバックした空気の中ふんにゃりと皆たゆたっているような日本人のたまり場が好きになれない。わたしらはひとりかふたり、多くて3人でストイックにレイドバックしたい。でも、今夜は……を実は最近初めてちゃんと聴いたのだが、あれは素晴しい楽曲ですね。
 またある夜、下北のシャレたライブバーのようなところで、福岡史郎を見た。それはもう素敵なライブだったので 、唄がある、音楽がある、と思った。そうして気持よく酔っ払った。

 さいきん気になるのは久しぶりに読み返すドーマルの「類推の山」。文庫背面のコピーには、「はるかに高く遠く、光の過剰ゆえに不可視のまま、世界の中心にそびえる時空の原点―類推の山。その「至高点」をめざす真の精神の旅を、寓意と象徴、神秘と 不思議、美しい挿話をちりばめながら描き出したシュルレアリスム小説の傑作。“どこか爽快で、どこか微笑ましく、どこか「元気の出る」ような”心おどる物語」だという。そう、ユーモアが大事。だけどユーモアとは深い不可思議な技術である。先ほど「ロゴス亭」をこれも久々に読んだら、笑いが止まらなくなった、それも、一気に一話読み終えて最後の段落であははははと、嬉しく可笑しかった。これが、世界中の人たちに通じるというのが、はかばかしく素敵だと思う。

 素敵素敵じゃ話はすすまない。呟いてばかりで空気に消えていくばかり。モノローグにもなりやしない。対話などには程遠い。対話。対話を私はしたことがないのではないかと思うから、昨日のさっき、さっきと対話をした。
 日記を書こうと思うんだけど、何を書けばいい?
 恋のハナシなんてどうかしら、私はいろいろな恋をしました。高校の頃の塾で出会った人を見つめてみたり、文化祭で出会った子とホテルでキスをしたり。
 それは恥ずかしい、けれど、恋は生々しい感情がある、恋とは強いね。
 愛と恋は違うよね、とよく言うけど、そうだね。
 愛は何だか、もっとユニバーサルなものだね、ユニバーサルデザイン。ペットボトルのキャップ。
 恋ってさ、抱きしめて抱きしめて、抱きしめてもっと抱きしめて、少し抱きしめられて、ちょっとチュっとして、もっと抱きしめて……ってものだよね。
 そうね、いずれ締め過ぎて折れるまで。
 でも、それだけじゃ何だか足りなくて、わたしは哲学が必要、恋人がいるのに恋をしてしまうこともあるかもしれない、それは悲しいかもしれないけど、でもあなたの哲学がないと寂しい、哲学がほしいの
 フィロソフィーね、難しいことを言うね。

 それで、センセイ、私には物語が足りない、物語を食べて、私は生きているのに。センセイ、アマゾンで同じ本を2冊間違えて頼んだりしていないで、何か物語りをしていて。
 こんなのは、どうかな。
「ぐるぐるぐるぐる、ぐるぐるが始まってしまいました。私の中のぐるぐるが、すべて外に流れ出ました。だから私はすっきりしているけど、今度は私の周囲がぐるぐるしている。これはこれで、複雑です。 私はむかし、もっとマトモな見た目をしていました。今のようにヒールを履いてはいなかったし、手も若干短かった。首はすっきりしていて、それに、空はもっと明るかった! 7月のように。 でも、これはこれでひとつ、すっきりしているのです。」
 夏で、雨っぽい夏です。キンキンに冷えた雨が降るといい。と昨日書いたら、今夜は冷たい雨が降っていますね。気まぐれな東京の空。だから昨日は支離滅裂な日記を書きました。それを今夜また書き直しているわけで、少しはまともになったかもしれない、しかしまだ少しく支離滅裂であります。それはきっと、まとまった時間がないから。まとまったフォーマットでないから。書かれていることはきっと同じ。月末には一つ発表物がある予定です。おやすみなさい。





2012年6月15日金曜日

季節感

どうも、こう、
季節がかわります。春から夏へ、夏から秋へ、冬へ、それでまた春。
いつものように起きて、いつものように顔を洗い、いつものように家を出て、駅に向って歩く、けれど、何か新しいような、どこかに萌芽か瓦解をほのかに感じるような。
そういう風に季節は変わるでしょう。実際の季節も、抽象的な季節も。
そういう時はその場では分からなくても、のちのちああ、そうだったかな、あの日は何だか異なった。
とか、思うかもしれない。などと、思わせぶりなことを書いても仕方がない。
特に、思わせぶるつもりもなく、何か、伝えたいわけでもなく、
別に誰かの唄のマネしたいわけでもないけど。
ただ、何か変わるような気がして、何か。
そういつだって感じたい。

誰か常識って何、フツウって何、と酔うと誰かのマネをして聞いてくるけど、
そんなものはただのコトバだと言いたい。
季節もただの言葉であって誰かが決めたもの、おそらく日本の人。
だから3年越し、4年越し、9年越しに変わる季節もあっていいだろう、もちろん、一生続く季節も。

終りの季節って唄があるけどあれは何か爽やかで悲しいうたですね。
いけない、こんな悲しいことを書いていては。悲しくもないのに。
 
話を変えると、さいきんバタついていて何かしたいことが思うようにいかないのだった。しばらく、何かひまだったのに何かしたいことも特に思いつかなかったのに。
時間とは不条理不合理なものだけど、きっとそれはそういうものなのだろう。

えーと、






ストレンジ・フルーツ、過日の果実。
逃げるクダモノが、我が者顔で走る。

そう、一つ前のノートに書いてあるのは、何だったろうか。
ビューラー、ビューラー、我が者顔で走る、
He said, I love dogs and beauller, beauller,,
すべてが奇跡のようにうまく進んでいく、
フェリスはそれを見越したように、カメラに向ってニヤリ微笑む、腹立たしい。
しかしこの監督の技量たるや。
低音が美しく伸びる、空虚に部屋にこだまする。

そうそれで猫、それで草、それで樹々、それでむにゃむにゃむにゃ。

えーと、
つづきます。

2012年6月6日水曜日

禁煙と喫煙の害について

さいきん朝吸うと必ず吐きそうになる。朝家を出てひと道、曲がってふた道行く途中、路上の灰皿があるのでそこまで吸うけれど、一度二度、その灰皿に向ってだばーっと吐きそうになった。けれど何とかごまかして、水を飲んで電車に向う。
その灰皿のあたりから見えるのは、ホームの、電車の乗り口じゃない方の端。ひとつ信号の先に、電車が入っていく、出て行く。何かさわやかで大きな木があったり、点滅している黄信号、その先に踏切。たまに、赤いジャケトを着たおじさんがうろついている。
彼は、自主的に路上喫煙、ポイ捨てを追究しているらしい。現場を見た事はないけれど、そういうことをする人を取り締まっているらしい。
しかし、最近はよく見ない。

吐きそうになるときは、いつもある夜を思い出す。一月くらい前か、昼から飲んでいたら夜新宿のいずこで また人と会ってまた飲んでワインも2、3杯のんで、同じ電車の人がいたので彼と走って駆け乗って、立ったまんま映画の話なんかしながらその駅について、同じ灰皿がある辺りでばあー、ばあーっと吐いた。ほとんどワインであとは何かカケラのようなのがそこかしこに散らまる、近間にいた猫も散らまる。
それで次の日うろんと朝歩いていたら吐いた箇所がアスファルトに染みになっている。それから毎朝そのシミを確認していたが最近はもう見ない。

ところで、文章ってのはもっと自由で素敵な可能性を持っているだろうと最近よく思う。文学、、、最近美術写真映像いろんなものがつい文学してしまってるなと思うが、文章はそれをもっと乗り越えて、そうなんと言ったらいいか、読んでないけど、ピンチョンの小説のように自由なものではないでしょう、か、ね。頑張らなくちゃいけない。










2012年4月29日日曜日

猫写

最近、想念に黒い雲がたびたび現れては過ぎ去っていく。
こんなにそれは、居たろうか、居たけど何かで隠していたのだろうか。
全くわけのわからない、その雷雲のような、、、
何だろうか、

最近、わけのわからないモノばかりで、面白いような、面白くないような、気がしている。
何か、把握力が弱まっているのか、それともあれか、過剰に感応しているのだろうか。それならそれで、いいのだけれど。

最近、キャッチ22という名作を読み耽っていたら疲れてしまったので、非常に高価な『深沢七郎ライブ』という本をとうとう買った。

ここに入っているのは人間滅亡的人生案内、センセイは、ひたすらに性欲に本気で取り組むこと、ボンヤリして過ごすのが最上のもの、そう問いているので、何やら心がとかされるようで、とかされたらいけないようで、、
お釈迦様は、人間とは何で生まれてきたのかわからない、ということをワカッて、それがつまり悟りなのだ、というような事を言っている。
そして巻末に、オツジカツヒコ、イロカワタケヒロ、ノサカアキユキが対談をしている「俺たちも深沢さんのようにうまく死のう」

そうして今日、仕事で千葉、新宿2丁目を歩いていると気づいたら千葉みなとで海を見ていた。そうして、そこには、素晴しい猫たちが、いたのだった。













2012年4月22日日曜日

草ぐさ

草っぽいものが好きです。葉っぽい櫻もいいかと思いますが、やはりすこしく寂しくなりますね。でもこう、落ち着いて、落ち着くものです。

写実と詐術は似ている。どれだけ上手いか、どれだけ騙されて気持いいか、手品のように。だから、アートってのはある種の詐術だと思う。けれどどれだけ写実をするか、それは認識の度合いによるもので、わかり易い写実というものを写実絵画、と呼ぶが、わかり易いから、誰にだって、どれだけ似ているか! で価値がわかる。だから、わかりやすいのでしょう。

それってどうなの? と思う人が沢山いる。

見たままに描くんだ! そう言われても、それをみたままに描くには、なかなかテクニックがいる。それはつまり、長年の修練。それがなくては、いくら描いたって似てこない、あなたの心象、抽象を写すだけだ、仮に上手くいっても。

そもそも、他人の視界なんて決して分からないんだから、似ているか似ていないかなんて、わからない

けれどね。

しかし、静物画、写実画、落ち着いていて、クラシックなもの、割と好きです。落ち着くでしょう? リンゴやガイコツの描写、埃っぽい空気の描写、いい感じの錆具合たち。











2012年3月24日土曜日

煙に似たレポート

4/44

白い花びらがふぶきのように舞っている。朝の陽が照らす路があまりに美しいので「すごい、すごい」と独り言しながら歩いていた。これはこのまま天国に歩いてくのかな、、思ったら淡々と窮屈な朝の電車に乗っているのだった。

壁にもたれながら目をつむり、音楽を聴いていた。静かな音楽。そうしてそのまま品川、新幹線で名古屋、岐阜。
岐阜は素晴しかった、おっとりしていた。天気も空気も。
行きも帰りも新幹線の記憶はほとんど無く、ずっと眠りこけていた。
文庫本を読もうと手に持ちながら何度も何度も落とし拾っていくうち、カバーが折目だらけのぼろぼろになっていくのを認識した。それを隣の人が途中で、座席の前の網状ポケットに入れてくれたらしい。品川で気づくと手には折れ折れのカバーだけが握られ、中味はポケットに無事いた。嬉しく思い出されるエピソードである。
夜の街で知り合いの店に、関わっているイベントのDMを不審にポスティングし、客引きから逃げつつ帰る。
「兄さん、もちょっと速く走った方がいいよぉ」そう声がした。

 
3/00

私らは狂気と正気のあいだに
うずくまり
何処ともしれない浜に
絶えず身を沈める。
海に取りつかれ、
海に沈んで行ったナンバダフミオ

大きな大きな
オブセッションだったのか。
海に滲んだような色、色に、たゆたう
虚ろで無垢な描線たち
一本、一本、、、

それで、薬に溺れたジョン・ルーリイ、、、





2012年2月20日月曜日

owl

いつか、フクロウを激写していた。
















それだけだけど。

2012年1月1日日曜日

20120101

201201010330頃、青山のクラブで坂本が僕の顔をわしっ、と両手で勢いよく挟みました、すると両側の頬骨が少しく痛みました。
彼への愛憎久しく高まっていたのでカチンときて、顎を殴りました。
すると彼も顎を殴り返して来、もうこれでやめにしようと彼の両手を握ったり止めに入って来た人を抱きしめて背中をぽんぽんと叩いたりしたけれど、彼の追撃は止まず、首を掴んできました。
どうも、恐い&危ない&大人げない という気がしたので、尻尾を巻いて逃走、少し歩いてタクシーをつかまえ、新宿二丁目に行きました。
別に、オカマバーに行ったのではないのです。そこにジャズが渦巻いていたのです、ピットイン。
ちょうど入ると粛々としていて、オオトモヨシヒデが「Lonely woman」を奏じていました。すっと心に入り込み、立ちすくみ、カウンターでもらったビールを音を立てずに開けました。

俺も少しく無茶苦茶だけど、坂本も無茶苦茶である。どこかでまた、一緒に出来ればいいと思うけれど。どうなるのか。何とかなってほしい。NYで成功してみせて欲しい。それで自信ばかり膨らんでも、しょうがないけれど。 ところで新年ですが、その時せっかくお店を紹介してくれたアリーさんに申し訳ないと思うばかりです。





 まあ、また。