2012年9月16日日曜日

ツルレイシ2

ゴーヤが気になって調べているのだけど、本名はツルレイシって言うらしい。何でゴーヤが気になるかと言うと、HOWLという雑誌をつくろうとして、それがたち流れそうになりまたCALEという雑誌をたち流そうとしているところに、彼が言った「ハウルとケールとゴーヤ」その語感に手応えを感じたので、ゴーヤについて調べている。何か可能性を求めている。
それにしても夜は長い、あれだけ飲んでそれで散歩して、寝過ごしてようやく終電で吉祥寺まで行き着いてもまだ月はナナメ、猫の眼のように光っており、公園の池にもコイや鴨、ギター弾きや酔っぱらいなどが群れ騒がしい。けれどまだまだ静寂の方が勝ち、静寂のなかオデンのコップにビールとサイダーを混ぜて飲んでいると、ああ、夜は長いなあ! と思った。いや何を思ったかは色々思ったけど、夜は長いなんて思ったろうか、分からない。うんでも長かったようだった。だって未だ続いている。
夜空が藍色で青色で黒くて、月が木の間に白く黄色く輝いていて、そんな絵を描きたいと思った。帰ってすぐにそこにある板に色々塗りたくったら、途方も無く空とは違う色面が出来た。月のかたちもそこには無い。
最近久しぶりに絵を描いてる。何だか砂丘のように本やらうずくまっていた部屋、気を吐いて片付けると足の踏み場も空間も色々出来ていて、とても居心地がよくなった。だから、といってもそれは今日のことなのだけど、今日からまた絵を描き始めた。
文章が書けない、ああやだ、もう内容がない、目的ないと出来ない! そう思って筆がまるきり進まなかったのだけど、どうも絵を描いていると、書けるような気がするのは何故だろうか。
絵と言っても、何やら得体の知れない物物を 貼り付けては、放っといて、塗りつぶしては、放っといて、、という事を繰り返すうちに出来ているような、抽象的なものであって、何かボナールのような、確固たる形象をデッサンを、描きたいのだけれど、素養も勉強もしていないので、一向にそうはならない。なれない。きっと、何かを一心に描く―描写することで、カタチというものは出来ていくのでしょうか。何かあるカタチをそのまま使うのでは、なくてね。