2012年4月29日日曜日

猫写

最近、想念に黒い雲がたびたび現れては過ぎ去っていく。
こんなにそれは、居たろうか、居たけど何かで隠していたのだろうか。
全くわけのわからない、その雷雲のような、、、
何だろうか、

最近、わけのわからないモノばかりで、面白いような、面白くないような、気がしている。
何か、把握力が弱まっているのか、それともあれか、過剰に感応しているのだろうか。それならそれで、いいのだけれど。

最近、キャッチ22という名作を読み耽っていたら疲れてしまったので、非常に高価な『深沢七郎ライブ』という本をとうとう買った。

ここに入っているのは人間滅亡的人生案内、センセイは、ひたすらに性欲に本気で取り組むこと、ボンヤリして過ごすのが最上のもの、そう問いているので、何やら心がとかされるようで、とかされたらいけないようで、、
お釈迦様は、人間とは何で生まれてきたのかわからない、ということをワカッて、それがつまり悟りなのだ、というような事を言っている。
そして巻末に、オツジカツヒコ、イロカワタケヒロ、ノサカアキユキが対談をしている「俺たちも深沢さんのようにうまく死のう」

そうして今日、仕事で千葉、新宿2丁目を歩いていると気づいたら千葉みなとで海を見ていた。そうして、そこには、素晴しい猫たちが、いたのだった。













2012年4月22日日曜日

草ぐさ

草っぽいものが好きです。葉っぽい櫻もいいかと思いますが、やはりすこしく寂しくなりますね。でもこう、落ち着いて、落ち着くものです。

写実と詐術は似ている。どれだけ上手いか、どれだけ騙されて気持いいか、手品のように。だから、アートってのはある種の詐術だと思う。けれどどれだけ写実をするか、それは認識の度合いによるもので、わかり易い写実というものを写実絵画、と呼ぶが、わかり易いから、誰にだって、どれだけ似ているか! で価値がわかる。だから、わかりやすいのでしょう。

それってどうなの? と思う人が沢山いる。

見たままに描くんだ! そう言われても、それをみたままに描くには、なかなかテクニックがいる。それはつまり、長年の修練。それがなくては、いくら描いたって似てこない、あなたの心象、抽象を写すだけだ、仮に上手くいっても。

そもそも、他人の視界なんて決して分からないんだから、似ているか似ていないかなんて、わからない

けれどね。

しかし、静物画、写実画、落ち着いていて、クラシックなもの、割と好きです。落ち着くでしょう? リンゴやガイコツの描写、埃っぽい空気の描写、いい感じの錆具合たち。