2015年12月27日日曜日

言い方2

ハウスか、ハウスか、ってなるんだよね。踏み絵みたいな。
下北は、そういうの難しかっただろうね。
でも世界の感じを見ていると、ハウスもパワポも一緒じゃん、っていうのは僕は分かってた!
世界情勢が正しい!ってのが、もはやないよね。

緑色、と路上に描いてあった。工事現場の印なのだろうか、力強い筆跡でただそれだけ。
みどりいろ、とかの女は読んだ。
そう言うかの女は、何だかきれいな野菜のようだった。
それでこうして、緑色の絵を描いている、けれど緑色で描いているというだけのことで、それは白黒と何ら変りはしない。けれど大した画じゃない。

いま話したいのはさ、時間だよね。
そうそう、時間! 今日は時間のハナシだよなって思ってたよ。
問題は時間だよね。戦争も平和もそう。最近の表現もそう。

白に緑で描いてみると、ツートーンだろうか。描線がきらめく。気がする。
またこうやって、淡々と絵を描いている。けれどこんな画、どうも何だか、何がいいのか……という気がしないでもない。いい! って言ってくれる人はいるけれど、果たしてどうだか……そんな気がし始めてしまったから、これはもう上手くいかないのは分かっている。
逆に、緑色に白で描いてみると、これも又なにか味がある気もする。

HELP! あ 兄さん ばあさん
HELP! ありゃーゆうべの夜
HELP! 夢が破れた
HELP!!!

あの子供の頃は心配なことも
それほど恐ろしいことじゃなかった
でも大人になって気づいたことは
危ない世界に暮らしてることさ

HELP US ベイビーどんなときでも
HELP US 君を愛しているから
HELP US 傷つけたりしないで
Won't you Please HELP US?

そんなうたが始終こだましている。歩いている最中、息をするように、セックスしている最中、出し入れするように、音楽を聞いてる最中、ビートに合わせるように。
これ「HELP」の和訳なのだろうけど、ビートルズをそもそもちゃんと聞いたことが無いから、新鮮に聞こえるのだろうか。それに意味もよくわからない。助けて! そんなところ? それとも 助けろ! なのか。しかしことばのニュアンスというものは翻訳しきれるものではなくて、どちらの意味でもあるのだろう。しかしまあ、開き直った叫びだ。

まだ画を描いている。描いてるのだろうか。へやの隅にキャンバスをたてかけ、たまにおもむろに塗りたくる。時に何か貼りつけたり、ペンで何か描いたりしている。
けれどもう半年もその画はすすんでいない。ホコリが何か描くかもしれない。いや、描いていないだろう。時おり酔いの果てに、飲まないワインをだらりとふりかけ絵具を注ぐこともあるけど、それはただの惰性にすぎない。

隣の席では、中年男性がふたり、味噌汁をすするようにコーヒーをすすっている。この町の話や母の病気のこと。同じ区に生まれ、同じ区に過ごしているわけだけど、おれもいずれああいうふうになるのだろうか。想像がつかない。

会話がある、対話がある、映画や小説、大体ある。けれどこれも又、作者の独り語りでもあるのだなと思う。
男同士がヤっている。中国人のカップルふたり、会ったひょうしに立ったまま。後ろ向きに、挿れている。それもまた独り言でもある。
しかしまあ、バンドとかオーケストラ、あるいは芝居とかは異なる。現場で人びとがつくり出す何か空間がある。自明のこと。

私に息子がいたんですかァ? 
隣では、認知症の父の話をしている。もうウンザリするけれど、そう遠い話でもないのだろう。
私は写真家と飲んでいる。もつ煮込みを食べている。彼とはSFの話しかしない。みんな喋っていますけど、話すことなんてそんなにあるのか? 退屈して、寝てしまう。

――今年も色々あったね、って言い過ぎてもう空虚になってきたね。
――そうだね、わたしももう聞き飽きた
――でもおはよう、って言うのは飽きないね。何故
――おやすみ、もそうだね

そうだね。ふたりもつれ合ってそう言って。そう言ってもつれあって。カラオケで陽水をうたって。それからどうした。

どうしたかは分からない。どこをどう歩いて帰ってきたかも覚えていない。飲んで寝て寝ながら歩いて、それで自分は何を生きているのかよくわからない。何も考えていない。

何を生きているの? お前は作家なの?
作家でもないでしょう。
じゃあ、何だ。ただの快楽主義者か?
そうでもないかな……。

いつものように、少し遅刻しながら会社に向かっていると、途中のバスで、またかの女に出会う。
それは、オロちゃんだった。
オロちゃんはとうとう大人になり結婚までし、子どもを2人もうけた。男の子と女の子、一歳違いの。それで毎朝こうやって、バスに乗って2人を保育園まで送る。小柄な、まだ子どもみたいなオロちゃんはそれでそのまま職場へ向かう。
そうして離婚までしてしまい、大変だった。それでよく酒を飲んだ。私はのらりくらり過ごしているうちに、オロちゃんは猛スピードで駆けていた。私もずいぶん髪が白くなってきた。
だけどオロちゃんは、今はこうやって落ち着いて生き生きしているから、好ましく思う。

おはようおじさん
おはよう。

そう返す。ずっと小さい頃からおじさんと呼ばれていたけれど、とうとうオジサンらしい歳になってしまった。私も速かったことがある、たまにだけど。

この子たちも私をおじさんと呼ぶ。あーあ。

2015年11月27日金曜日

アバズレ

いい加減にしなさい! このアバスレが!
そんな会話が、あったかもしれません。けれど検索してみると、案外まともな暴れ者のような意が、江戸の頃からあったようです。
というわけで同人誌「A.B.Z-R」が出来ました。
詳細は目次をご参照下さい。



関係各所をはじめ、都内の書店、すこし京都にも、展開していく所存です。
見かけたら是非ご覧下さい。
あと、置いてくれるお店に心当たりあれば、是非お知らせ下さい。

主な同人である才野さん、藤森さん、平田さんはじめ、ご協力いただいた皆様、お疲れ様でした、本当に、ありがとうございました。

取扱店、問合せなどは、まとめページがそのうち出来るようですが、とりあえず
https://twitter.com/ABZR20150613 を参照下さい。僕から直接買ってくれても大丈夫でしたが、そろそろ手持ちの在庫は皆さんなくなりそう……。



こちらにはまだあるでしょう。



天使。




2015年10月27日火曜日

ルルド、ありがとうございました。


本当に皆様、どうもありがとうございましたー。
また書きます。

2015年9月16日水曜日

風街ルルド2015

どうか素敵な、ちょっとフリークフォークな午後を。
二年越し三度目の「ルルド」今年の内容です。


       


風街ルルド2015 10月24日(土)カトリック世田谷教会
世田谷区北沢1-45-12
下北沢駅南口より徒歩5分、スズナリ裏手。

企画:緑色、cheaoulait

Open 12:00~17:30 頃

Entrance 予約2,000円 当日2,500円 
入場料から500円を教会に寄付させていただきます。チャリティで集まった資金は教会に寄託され被災者支援センターへ送られます。

-Live
辻睦詞と中央電化ドクター
入江陽
風の又サニー(京都)
scscs
オマールエビ
クマに鈴

-Food & Bazzar
アQ
給食当番
丸子上乃原
トビラ
古本とZINEのコーナー
門眞妙

-Decoration?
クロタヌキ
Frasco

And More.......

入江陽さんの洒脱な弾き語りに始まり、オマールエビのやわらかなインスト、京都の音楽通にはひそかに人気の、えらいほっこりした風の又サニー、無二のやさしさの辻睦詞さんのうた、そしてストリングスを入れてスウィート仕様のクマに鈴。

ルルドのお庭ではscscsが不思議なスペクタクルを、バザーでは、画家の丸子万葵さんがセンスフルでお買い求めやすい雑貨を制作販売、吉祥寺のセレクトショップ・アQが出張販売。
飲食はおなじみの給食当番、下北沢の素敵なタイ飯屋とびらも出張。それと古本やZINEを売ったり、画家の門眞妙さんが似顔絵を描いたりしてくれます。

会場装飾はFrasco、それとインスタレーションで知られるクロタヌキが何か不思議なことをいたします。

秋の午後、音楽とバザール、お酒とお食事、それと少しシアトリカルなものを楽しむ会。しんとした庭と、かまぼこのかたちをしたアトリエ。どうかゆるりと、お運び下さいませ。

〈タイムテーブル〉

12:00 受付開始
12:30 開場
12:40 入江陽
13:30 オマールエビ
14:20 風の叉サニー
15:10 休憩
scscs(庭での上演)
15:40 辻睦詞と中央電化ドクター
16:30 クマに鈴

〈SNS〉
FACEBOOK→「風街ルルド」  
TWITTER→@lulud2015

予約・問合せ:midoriirosanアットnifty.ne.jp(緑色)もしくは上記SNSまで。

今回もデザインは平木元くん。チラシを見かけたら持ってって下さい。

〈おまけ・さいきんの教会〉

コメントでも予約受付けますのでよろしくです。

2015年8月21日金曜日

そうして

関わっております、下北とアートのフリーペーパー、季刊「九間」、ようやっと久しぶりに出ました。
今回のテーマは、高田沙織さんによる古本屋さん。裏面は、谷藤貴志さんによる写真の新連載、金勝浩一さんのエッセイ最終回、丸子万葵さんの絵の連載、などです。


表紙にひとが写っています。珍しいですね。

下北界隈と、関わっている人が絡んでいそうなお店と、あと本人などにありますので、見かけたら持ってって下さい。

関わってる皆様、順次ご連絡いたします。

よろしくどうぞ。

バックナンバーはこちら。
http://howlmag.blogspot.jp/2015/06/blog-post.html



2015年8月20日木曜日

言い方


忘却の彼方に……忘却じゃないものがあるのかな。
忘却が積み重なって、いつか忘れきって、去っていく……。
マリワナで飛ぶ記憶というのがある。こう、時間の流れ方が曖昧になって、曖昧になって、曖昧になって……何かコマ切れになったり、巻き戻されたり、モノクロームになったり、他人事のように、映像が進む。

歩く、何も考えずただ歩いている。ここ最近、ひまだからただ歩くばかり。けれど振り返ると、いつもそうやってただありがちなところを歩き回っているだけかもしれない。そう進歩はない。
いまは世間はもう朝、風が吹いている、きれいな朝。隣にはデカい女の子が歩いている。もうそろそろ疲れて来ている、なにかを歌っている、なにか明るい、古いうた。

もう、つかれた……、つかれちゃった。
ねえどこへ行っていたの、
ん、おしゅし、いやすこし、銀座に……いや僻地に……
僻地にってどこ?
いまはなき中国マッサージだよ
エッチなことするところ?
想像にまかせるよ。でも見てごらん、何か微妙な感じだろうおれは
そうね、中途半端なふんいきがしている。ぬいてくれると思っていたらダメだったんでしょう。摘発されて。
そう、よくわかったね。以心伝心だ。

(YMOの以心伝心が流れる。フェードアウトしていく。最後のところ一瞬、パフィーのアジアの純真に転調する)

いま 、何時でしたか、10時くらい?
10時半ですね
そうですか。

そう言ったあたまの中は混沌としていて、ものぐさそうにしている。

いや……おれの時計はまだ止まっています。
何時何分で。
12時5分。

それで、旅にひかれた。旅をしたいと思ったわけではないが、旅が私を何となく誘った。
久しぶりに、してもいいかな。旅先でもどうせただ歩くのだろう。

それで、旅に出てきた。ここは中東。歩くのも飽きたから車に乗った。西日がさしている。子どもたちが走っている。
気がつくと、そらはグレーに染まっていた。ただのグレーじゃない。黄みや青みを交えた、豊かなグレー。ぽっかりと、空いているそら。
車を降りて、2人で見上げた。2人というのは、私とオロちゃん。私はその頃すでに酒から手を離せなかったし免許も失効していたので、オロちゃんが運転してくれた。酒から手を離さなかったけど、ただ瓶をなでているだけで、飲むことはまだなかった。それにボトルには養命酒と書いてある。オロちゃんは漢字を読めないから、それでいい。

なあ、どこまで行くねん
オロちゃんは相変わらず根拠のない関西弁だった。
せやね……日本語が通じないとこまで行こか。パスポートはあるさかい。ほら、こんなに赤い……

モノクロームの中で、そこだけ夕焼けに染まったように、真っ赤だった。少し、赤過ぎるようにも見えた。カーラジオからは、ジム・ホールのギターがしんしんと流れている。艶のあるストリングスが入る。

その夜、夢を見た。
月を見ようと思って公園にいった。公園というのは薄暗さがちょうどよくて好きだけれど、ビルに囲まれたそこは月が見えなかった。代わりに、街灯に照らされる植物を見ていた。緑がらんらんと輝いていた。桜は散ったけど、こちらの方が生きている感じがする。桜のいろは少しこわい。

少し間。

つづけて、こんな夢。
わたしは、NYにいた。そこで、小さな、日本人が中心の、劇団をしている。わたしは、看板役者。
仕切っているのは、アングラ出身の白塗りのおじさん。
中国人が舞台裏に多くて、大きな声で中国語が行き交う。そのなかで私らはほそぼそと演技をしている。
NYなんて、さぞかし開放的やろ……そう思いきや、さもあらん。なんとまあ、閉じたサークルであることか。
学生演劇とさして変わらぬ……、生計もかかわってくるから、それもまた一層シビアで。
一度演出をして、何やら新しい予感をさせた若いやつが、突然やめると言ってきた。曰く、わたしは結局暗いし、ひとりで学問でもしたい……、お金も、まあ何とかなる……。遅刻して輪の集会にやってきた彼女は、そう、たど、たど、しく、息巻いた、半ば、泣きそうな風情で。
人らは、何も反論しなかった。ただただ、こうべを垂れて、しゃあない、な……といった風情で。
わたしはただひとり、待たせたことを謝らないなんて! と憤っていた。けれど、そこまでえらくもないから空気になっていた。それを、まだ少し、思い出すと憤る……7年経ってもまだ。これはこれで、しつこいと思う。

……私小説というか、何でこう微妙な現実味ある夢を見るのだろうか。抑圧された思いがそこに出てきているのだろうか。わたしは夢のさいのうすらないんやろか。

このひとは、4コマ。このひとは、16コマ。このひとは、1024コマ……。
めの前にいるひとは、96コマだった。話している彼女とひまではじめた遊びで、人の神経の複雑さ、手足の長さや体型などから、勝手にコマ数を決める。マンガのコマのつもりだった。
彼女は白塗りだった。関節は多めで、道化のようにオーバー気味な身振り手振りをまじえて話す。96の関節を互い違いに振り回して語る。

ねえ、振り返ってみて、あなたのここ一年を。
その前に、あなたの一年を、教えてほしい。

この一年は、仕事しかしていませんでした。明けても暮れても仕事。朝は仕事の夢で起きる。夜は仕事のこと考えながら寝る。というか寝るのが朝のこともあったし、寝ない日もあった。
それで精神を病みました。病んだ私は心療内科に行って病んだと証明されたのですが、それで診断書を持ってボスをたずねると、またか、コイツ……、という顔をされた。「それを持ってこられたら、お手上げなんだよ」どうして、もっと早く相談してくれなかったの、でもそうさせなかった私らも悪い。だから好きなだけ休んでいい。けれど必ず、戻ってきて欲しいのだけど、いかがかな。
いかがも何も、休んでみないとわからないのですが、それでもいいでしょうか。そう言って、休みをもらって、いま休んでいます。けれど、不思議ですね、こうなってみると意外とひまで、こんな長い休みをもらったら長旅に出よう! とか引越をしよう、とか、書きためていたあれをかたちにしよう、とか考えていたのに何も始めようとせず、ただ漫然とテレビを見て日を過ごしています。
まあ、ひとつ、しようとしていたことがあって。それを今しているのですが。
見れば分ります。
どうでしょう。
おきれいです。
でもデカいしケバいでしょう。もっとナチュラルに、しぜんに、女性であれたらいいのにと思う。
期待しています。継続は力ですから。





とまあ、こんなことがあったのだけど、まあ、普段どおりというか、変わらないよね。
そうね、あなたはだいたいヒマしている。
とオロちゃんは、もうだいたい大人みたいになっている、背も150センチくらい。
見える道に何か違いはあるのかと考えると、さして違いはない。焼き直しの似たような道ばかりでさして面白みもない。ついては本の中に隠れ入るのか、それもいいが、何かときめくような現物が欲しい気もする。
あの話題の映画を見ないとそろそろ死ぬんじゃないかと思ったけれど、
あの人はむしろ「じゃあ見ないで死ぬわ」と。

ソイレントを喰いはじめた若者が三人、たむろしている。
辛いのは、さいしょの三日間っすよ。
辛いのか、どうなのだろうか。憧れないことも無い、世の中には不食という謎の秘技もあるようだから。
何せ、完全食と言われている。私もひとりだと食に情熱がなくて久しい。

そういった、ときめきは、いつもバッタリ会う。というかバッタリ会うからときめくのであって、念入りに出会おうとしていたものには、実はそうときめかない。もっと前にときめいている。
街角で、時には本屋さんなどで、バッタリとときめきが歩いてきて、ふと声をかける、あるいはかけない。
何かたしか意志を持って用事があって本屋にいたはずだったのだけど、彼女を見つけた途端、もう何だかすべて忘れている。それですぐヒョイと声をかけるような間柄じゃないから、そうしないでちらりちらり眺める。
彼女は雑誌をしげしげと読んでいる。きれいな目鼻立ちをしている。リュックをしょって、紺色のワンピース、ギターの代わりにリュックサック、長い手足に、まるメガネ。

今朝起きたとき、本性などと言うけれど、ひとに本性など無いんじゃないかって思った。いつもこう、場に合わせて変わるばかりで。
いったいどんな夢を見たの
天才……平成の天才は気がフれている、心療内科にかよう必要がある、記憶がトんでいる。それでも明るく過ごしている。忘れているから。あたまの中を蝿が飛んでいるから。
そう……カジュアルに絶望している。辛いわけじゃない。
わかっているの、支離滅裂よ。
四字熟語だね。
そうやって2人は街に出た。午前中までやりあっていたから、モウロウとした頭で、どんよりとした眼付きをしていて。かの女の方は関節が48個まで減っていた。俺はというと関節は当たり前のように1,000以上はあった。どうりで歩きづらいし腹が減る。隣を早足に円めがねの男が行き過ぎる。よく見るとそこは動く歩道になっていた。かの女の大好物だ、けれど気づいていない。気づかれるのもしゃくなので、さり気なくかの女の右側の視界を隠すようにして歩く、こういうときにこの関節の数は助かる、視界にあわせて自在に動く。
ねえ何か動きが不自然よなどとかの女は言わない、いつだって私は不自然だからだ。
そうしてオロちゃんにいつも独り語りしている。もの言わぬオロちゃん、本当はいないオロちゃん。でもじつはいるオロちゃん。おしゅし。

2015年8月15日土曜日

月と月、間と間

さいきん在庫のない九間をアップします。
昨年6月にでました、最新のもの。A面は須藤さんはじめ色んな皆様にご協力いただいたスガダイローさん、B面は皆様におききした下北の景色について、などです。




それでこちらも、在庫僅少につきアップする第4号です。表面は素敵で、今一番面白いアーティスト、北澤潤さん。裏面はレディ・ジェーンの大木さん、それと金勝さんのエッセイの第一回などです。



それとこちらも。





右クリックでダウンロードできます。
それでA3で出力して九間折りをすると、現物に近いかたちになります。


季刊と書いてありますが、そろそろ一年ぶりに出る様子、何たるマイペース。

よろしくどうぞ。

2015年2月22日日曜日

perceptual someday


たとえば旅をする、一人暮らしを始める、留学をする。行くまでは、よし行くぞ、などと意気込んでいたのが、いざ着いてみると、やることがない。心細い。どうしてこんなことを……、戻ってしまおうか……、お金もないし……、などと考える。
ぽっそりとした気分になって、眠る。次の日の朝、昼かもしれないが、起き出して、近くをうろつきまわる。何もすることがない。腹が減る。町の喧噪がただただ自分に関係のない音として流れている。数日すると慣れる。
淡々と過ごし、時に遊びにいく、時に仕事にいく、時に人と寄り集まり鍋をする。
散歩は旅情がある。


聞こえるものは、ラジカセから流れる映画音楽と、TVでやっているフィンランド映画の音。打ち込みの音を交え、クラシカルに、現代的に、スムーズな旋律がしている。TVからは男や女、子どもやおじさんの声がしている。爆発音もしている。見ると、男が銃弾をうけ倒れていて、白いオープンカーの座席に深くうずくまるように座っている。それを心配そうに見つめる男女が立っている。男は車のボタンを押す、するとゆっくり、幌がうしろから出て来て、装着される。次のカットでは、男女が車を運転し、海岸沿いを走っている。撃たれた男は後部座席にもたれ込んでいる。病院に連れて行かれるのだろう。



歩いていると、いっときの情景を思い返す。
寒い夜だった。月が薄曇りの奥に大きく、花のように輝いていた。瑛九の抽象画のようだと思った。はは、古くさいたとえ……、自分で自分を笑った。けれどじっさい、そうとしか言えなかった。
私は逃げていた。逃げたいものが沢山あった。仕事や住まい、人付き合い、習慣、携帯電話、性癖、物ごと、過去……。ある種の芸術家たちのように、爽やかに少し醒めた狂気をもって逃げられたら、趣味だけをもって颯爽と逃げられたら、よかった。


たとえば、誰か呼ぶ声がするように思われることがある。それで実際に階段を降りドアを開け表に出ると、誰もいなかったことも。声がする、男女の談笑。盛り上がっている。すると、今度は隣の部屋から電子音がする。と、思えば別の部屋から、女性の潜めたような笑い声、それで男の咳払い。窓を閉める音。

年末は、火事をしていた。友人は自宅の裏から20本ほどの竹を切り、用意していた。それをトラックに載せて、はみ出させながら、河原に運ぶ。中州にひそやかに竹を集め、上の方を縛る。それを大勢でよいしょ、と持ち上げ、テントを立てる。組み上がったテントの中で、盛大に、あるいはひそやかに、音楽をする。
集まった人に応じて、もうひとつ、間に合わせのブルーシートを使って、向き合うようにテントが立てられた。テントのなかの演奏者を、すこし離れて、テントの中の観客が見る。石油ストーブや薪ストーブ、豚汁やローソクが行き交い、とても和やかなムードになってきていた。
けれども、人びとがやってきていて、友人は彼らと話していた。人びとはよからぬわけではなくて、クレームを発したのがよからぬ人だった。だからテントを畳まぬかぎり彼らは帰れなかった。仕方ないと、みんなでテントを畳んだ。


この言葉は初めて使ってみるが、素敵なユニゾンがしている。ドラムに女性のベースボーカル、ビブラフォンに、エレキギター、アコギ。時にみんなで一緒に叫ぶ。あるいは、にゃむっとした男のギターボーカルに、にゃむっとしたヴァイオリンの女性、ひとり、やたらキレキレのパーカッション……。

畳んだテントをこりずに橋の下まで運んで、橋の両側に幕をたらして囲んだ。すると一方は空いているのだから、建造物ではない。そこでまた音楽を続ける。詩人やバンド、弾き語りが行き交う。
そろそろだな、長髪の男がそう言って、もうひとりもうなずいた。木を集めてきて、火をつけた。はじめはじんわり、ゆくゆく燃え上がって明るく、揺れるに合わせ大きな影がゆれる。火に鍋をくべる……。


間違えて電車に乗っていた。乗り直して行った先の店は今日は閉まっていた。これ以上座っているのも電車ばかり乗っているのも厭だから、歩いて次の駅に行くことにした。雨模様だったけど雨は割と好きだからいい……なんて何を偏屈な……と言われるかもしれないが、じっさいそうだから仕方が無い。

寒いし、ひとけもない。まだ昼過ぎだというのに窓を閉ざし、電気を点けて、住宅街の人びとは過ごしていた。
施設があった。お寺が運営しているホールのようなものか。にわかに明るく、そこに大勢が列を成している。
と、爆ぜる音がしている。焚火にくべた竹が、節が燃えるたび、爆ぜている、ぱん、大きな音。


夜明けまで、火にあたって鍋をつついていた。ゆらめく影を眺めながら喋り合い、ひとりはドラムを喧しく叩きながら叫ぶように歌っていた。ウィキペディアの解説からはじまる「退屈」のうた。

明けましておめでとうございます。
年末に電話番号を聞いていましたが、結局お電話をせずすいません。
あなたの、書店の展示を見まして、とても面白いと思いました。
それで、何か出来ないかと考えています。
迷いながら考えているのですが、ひとつ、コラボレーションのようなかたちで、紙面を作るのはどうかなあと。
たとえば、この町を徘徊して、何かモチーフ(抽象的なものでも、古物的なものでも、あるいは、路上観察的なものでも)を見つけて、作品にしていただくとか。
いかがでしょう。もしご興味とお時間があれば、一度お会いしてお話できませんでしょうか。

しばらく火を囲んでいると、次第に、強い風が吹いてくるようになった。橋から垂らした幕が、大きくはためく。その間から見える空が、だんだんと、明るくなってくるようだった。鳥が数羽、飛んでいて。幕の向うの小さな丘に、人たちがほたほたと歩いてきていた。日の出を見るのだろう。


Mさんは、眼をくるくるさせていた。比喩ではなく本当に、目がひとところに落ち着いていない。乱視というのか、いや、乱視ではないだろう、これは何か、何か名前のある症状のはずだ。一昨日会ったときは、まだこうなってはいなかった。また会う日には、元に戻っているんだろうか。どうなんだろう。聞かずじまいになってしまった。
Iは、三年前に会ったときはもさもさと男らしい感じだったのに、久しぶりに会うと随分やせて、なんだか、女の人みたいになっていた。華奢な骨をしている。色も白く、なんだか肌もつるりとしていて、どうしたのだろうか……、言っていることは特に変わらない。何か、あったのだろう、もしくは何もなかったのだろう。これについても、聞かずじまいだった。
それは初夢だった。

日が昇りきった。鍋が煮えきった。麺が汁を吸いまくっている。それをTはお玉ですくってお玉からすすって、何も言わずに鍋の中味を焚火に投げた。じゅうじゅうといい匂いをさせながら、くすぶって、火は消えた。竹を片付けた。火事が終わった。年がかわった。


久しぶりに夜遊びをしたら疲れた。まだ早いのに、ひと眠りした。二眠りした。少し様子がおかしい。
わたしは逃げたかった。いや今も逃げたい。逃げたいということは、逃げていないということだ。
そうなってダメになると、いや大丈夫だ! と小さなバネがうごく。はずだけど、そのバネもだんだんと、少し参ってきているように思う。
何年も前の手帖を見ると、同じことが違う比喩で書かれている。
歩くと景色が広がる。いい陽射しだった。空はすんでいた。ドアを開けて、一歩、二歩、……100メートルほどのところにある。昨夜吐いたところを見にきたのだけど、まだ乾ききっていない。もう少し待って、もう一度見にくることにしようか。よく晴れていたから、液体がきらりと、輝いていた。
記憶と記憶が連鎖反応を起こして、何かストーリイが生まれる。
たとえば牛がこちらを見ていて、
……ああ、とか、うう、とか言う。
前に歩く、歩く、歩くと景色がかわる、と思う。


気づくと目の下にひとの顔がある、こちらを見上げる、小さなひとの顔。
すこし、微笑んでいるように思える。それか何ともない無垢なかお。何なのだろう、けげんな風でもあるけど、すこし面白そうにこちらを見上げている顔。かわいらしい。手を引いて、こちら、こちら……と連れて行くと、だんだんと慣れてきた。爽やかに彼女は笑った。
気づくと段々と歩く速度をあげていて、手をひき次の角を曲がりバス停に停まっていたバスにのった。

それが、オロちゃんだった。
オロちゃんは最近、もう10歳になったから、段々と人間らしくなってきていた。彼女はブラジル人とのハーフで色は浅黒く、髪はうすい黒……、ふわふわとカールしている。大きな瞳をしている。8歳というが11歳くらいに思える。ほっそりした身体をしていて。
ぎゅっ、と抱きしめたいと思った。けれどそんなことをしたら驚いてしまうから、しない。ただ何となく、眺めているだけ。一、二メートルの距離をおいて。きれいな目をしている。

「わたしの国にはこんなものはない、日曜の夜中なんて、みんなもう寝ている」
いつの間にか寝息をたてていたオロが、そう呟いた。イギリス人観光客にでもなった夢を、見ているのだろうか。



ゆれすぎてふるえる。