2017年9月3日日曜日

here comes rain

音楽は時間を発生させるという。
菊地成孔と名越康文のトークイベント(8月、晴れたら空に豆まいて)で、場が暖まってきた渦中に名越さんが、こう、技術が発展してきてAIも凄い時代に、音楽にしか出来ないことはあるのか、とヌケヌケと菊地さんに聞いていて、それに菊地さんがとつとつと応じる、主観的、精神的なカイロス時間、それにイーオン時間があるという、音楽が発生させる時間はイーオン時間だという。難しい論理はよく言葉にできないのだけど、新しい時間を発生させる作用。たとえばジャズの転調、爆発的なインプロバイズ、聞く人はそこにもってかれちゃう、そんなものがそうなのかなあと……分かるような、分からぬような理解をした。

それで思うのがDCPRGの音楽だったりするのだけど、もっと思ったのは月初に見た渋さ知らズだったりした。だいたい、生活に渋さみたいなもの、というか渋さは必要である。あれは何なのか。長いこと見ているけれど、どうしてこうも飽きないのか。いっときいっときを、大事にしているからなのかなあ。生成し続ける音楽があって、人びとのコンディションやモチベーション、気分で移り変わって落ちつきが無い。一方で、落ちつきが無いというその中に落ち着く気もまたする。そこに色々なイメージが浮かぶ、時に激しい展開にからだが動く。いつも思うがピットインで前の方に座ってじっと聞いている人たちはアレは楽しいのだろうか。立った方がいいんじゃないか。酒が進んで止まない。そこにある時間はたしかに、言葉にできない、よく分からない。プレイヤーでないからプレイヤーの感じは分からないが、きっと彼らもまたまきこまれているのではないか。それはきっと祭りの熱狂に似ていて。

また一つ遡ると渋さの絵描きのアオケン(青山健一)さんの個展がその先月半ばにあって The Space Baa を久しぶりに見てそこでも何か持っていかれた気がする。音楽も当然、きれている。トランペットその他を器用に扱う辰巳さんが、途中からアイフォンを弾き出す。目を瞑るとエレキギターにしか聞こえない。宇宙っぽい。
音楽と一緒に絵があって、描いては消して、描いては消して、それをプロジェクションで壁に大写し、こうした技を長年やっているような絵描きは、そういないだろうと思う。自分で描く一コマ一コマを撮影してストップモーションアニメを作るくらいの人。根気というか何というか、呼吸するように描き続けられるのだろう、一筋縄でいくものではないのだろうけど。思えばそれは10年くらい前、渋さがワークショップをやるというので美術のところにいってみたところ、アオケンさんがすっ、すっ、と刷毛で流麗な線を描き出すのにとても惹かれたことがあった。その刷毛は几帳面に調えられていて、太くよどみのない線をきれいにつかって、円や線、迷い無く色々な生きものを描き出していく。引かれたばかりの絵具の鮮やかさ。

そうやって考えていると、もう10年以上渋さ界隈のライブを見ている。池間由布子さんも同じライブに見に行っていたと言っていた。先日また小岩のブッシュバッシュで哲夫が、かの人と一緒にライブをやっていた。そうだまた弾き語りだ。哲夫についてはもうあまり褒めても仕方ないから書かないけれど、あの歌いながら作っていくような感じは面白いなといつも思う。その日は何だか、しっとりしていた。つばさを下さい、なんて久しぶりに聞いたけれどいい歌だよね。エレキギターなどでもっと激しくやるのも好きだけれど、それは季節まかせ、風まかせなのだろう。

池間さんはあー、って歌いながら始めていた。長いことあー、って言いながらコードを弾いていた。あれは何なのか。タラ・ジェイン・オニールみたいって思う。見たことは無いけど。開かれていくような時間、空間。
昼下がりの、不思議な場だ。あとで気づいたのは、客は一人をのぞいて、一人で来ている男ばかりで、それも10人足らずか。夏の終りの物悲しさを体現していた。
すてきなこの人は快活でどこか子どもみたいな、何なのだろうか、落ち着いた、けれど、仄暗い、ひそやかな哀しみを秘めている。けれど、何かになろうって気はない。大事なことに、笑いもある。笑いといっても、日常的な、はにかむような微笑み。詩が立っている、すこし歩いて、しぜんと軽く踊っている。

鉄割の寸劇で見てから気になっていたフト見つけた「しゅあろあろ」を何度も聞いていた。いくらでも聞きたい音はそんなにない。それは声色かもしれない。憧れた音やスカッとする歌、気分に馴染む音色は沢山あるけれど、いつでも聞きたいものはそう沢山ない。なにか、こういうと不思議だけれど、ふつうなもの、呼吸しているもの。妙だけどしぜんとどこか、懐かしいもの。マンガや本にもそうしたものはある。
ライブを見たら、もっと見てみたいと思う。思うと、通い続けてしまう。
福々しいかおをしている。

終わって飲んでいると哲夫が、こいつは散漫だから、という。たしかに散漫だ。
別の日、会社の先輩が、あなたはラジオのように色々なものをキャッチするから、という。
ラジオのように散漫なのだろう。

池間さんからコーヒーショップリーキのこと、という冊子を買った。後日、といううちにああ秋になってしまったのだけどそこに入っているDVDをようやく見ていると、何度か聞いたことのある明るい窓、が耳に染み入る。ブルーズな感じ。しかし、詩がいい、てらいがないというのか。明るい窓というモチーフは暗くもあって、明るくもあって、とてもいいと思う。この季節にいい。
この画は、ほんとうに一人でやっているのがまたいいのだろうな。いるのはカメラだけ。自由な、内向的なうた。と思えばオバさんとテレビがいたりして。



(つづく)



earth + gallery アオケンさんの個展にて Space Baa 




無題