2012年6月6日水曜日

禁煙と喫煙の害について

さいきん朝吸うと必ず吐きそうになる。朝家を出てひと道、曲がってふた道行く途中、路上の灰皿があるのでそこまで吸うけれど、一度二度、その灰皿に向ってだばーっと吐きそうになった。けれど何とかごまかして、水を飲んで電車に向う。
その灰皿のあたりから見えるのは、ホームの、電車の乗り口じゃない方の端。ひとつ信号の先に、電車が入っていく、出て行く。何かさわやかで大きな木があったり、点滅している黄信号、その先に踏切。たまに、赤いジャケトを着たおじさんがうろついている。
彼は、自主的に路上喫煙、ポイ捨てを追究しているらしい。現場を見た事はないけれど、そういうことをする人を取り締まっているらしい。
しかし、最近はよく見ない。

吐きそうになるときは、いつもある夜を思い出す。一月くらい前か、昼から飲んでいたら夜新宿のいずこで また人と会ってまた飲んでワインも2、3杯のんで、同じ電車の人がいたので彼と走って駆け乗って、立ったまんま映画の話なんかしながらその駅について、同じ灰皿がある辺りでばあー、ばあーっと吐いた。ほとんどワインであとは何かカケラのようなのがそこかしこに散らまる、近間にいた猫も散らまる。
それで次の日うろんと朝歩いていたら吐いた箇所がアスファルトに染みになっている。それから毎朝そのシミを確認していたが最近はもう見ない。

ところで、文章ってのはもっと自由で素敵な可能性を持っているだろうと最近よく思う。文学、、、最近美術写真映像いろんなものがつい文学してしまってるなと思うが、文章はそれをもっと乗り越えて、そうなんと言ったらいいか、読んでないけど、ピンチョンの小説のように自由なものではないでしょう、か、ね。頑張らなくちゃいけない。










2012年4月29日日曜日

猫写

最近、想念に黒い雲がたびたび現れては過ぎ去っていく。
こんなにそれは、居たろうか、居たけど何かで隠していたのだろうか。
全くわけのわからない、その雷雲のような、、、
何だろうか、

最近、わけのわからないモノばかりで、面白いような、面白くないような、気がしている。
何か、把握力が弱まっているのか、それともあれか、過剰に感応しているのだろうか。それならそれで、いいのだけれど。

最近、キャッチ22という名作を読み耽っていたら疲れてしまったので、非常に高価な『深沢七郎ライブ』という本をとうとう買った。

ここに入っているのは人間滅亡的人生案内、センセイは、ひたすらに性欲に本気で取り組むこと、ボンヤリして過ごすのが最上のもの、そう問いているので、何やら心がとかされるようで、とかされたらいけないようで、、
お釈迦様は、人間とは何で生まれてきたのかわからない、ということをワカッて、それがつまり悟りなのだ、というような事を言っている。
そして巻末に、オツジカツヒコ、イロカワタケヒロ、ノサカアキユキが対談をしている「俺たちも深沢さんのようにうまく死のう」

そうして今日、仕事で千葉、新宿2丁目を歩いていると気づいたら千葉みなとで海を見ていた。そうして、そこには、素晴しい猫たちが、いたのだった。













2012年4月22日日曜日

草ぐさ

草っぽいものが好きです。葉っぽい櫻もいいかと思いますが、やはりすこしく寂しくなりますね。でもこう、落ち着いて、落ち着くものです。

写実と詐術は似ている。どれだけ上手いか、どれだけ騙されて気持いいか、手品のように。だから、アートってのはある種の詐術だと思う。けれどどれだけ写実をするか、それは認識の度合いによるもので、わかり易い写実というものを写実絵画、と呼ぶが、わかり易いから、誰にだって、どれだけ似ているか! で価値がわかる。だから、わかりやすいのでしょう。

それってどうなの? と思う人が沢山いる。

見たままに描くんだ! そう言われても、それをみたままに描くには、なかなかテクニックがいる。それはつまり、長年の修練。それがなくては、いくら描いたって似てこない、あなたの心象、抽象を写すだけだ、仮に上手くいっても。

そもそも、他人の視界なんて決して分からないんだから、似ているか似ていないかなんて、わからない

けれどね。

しかし、静物画、写実画、落ち着いていて、クラシックなもの、割と好きです。落ち着くでしょう? リンゴやガイコツの描写、埃っぽい空気の描写、いい感じの錆具合たち。