2017年10月4日水曜日

めぬけと抒情

ことばはいつも嘘つきで、こころはいつも難しくて、うつくしければいいわけじゃなく、
ふぅ、と、息を吐くように出るものがいいと思う。 あ、雨が止んだよ、とか。

混沌と散漫のなかにいると言ったけれど、混沌と散漫のなかにいる人はそんなこと言わない。じゃあ、どこにいるのか。

「パターソン」を見て、音楽だと思った。あの作品自体が、音楽そのものだと。あるいは一編の詩。音楽のよう、とか、詩的、とかではなくて、あれそのものがひとつ。そんなことを思っていた。あれは何か、生きることだし、歩くことで、作ること。それに、何かひとつの人間模様の類型も描いている。「GIMME DANGER」もまた深みがあった。それもまたイギーの詩なのだろうと、書いてある文がユリイカにあった。ジャームッシュの優しみ。

それで、音楽のようというのは、文章にも、そういうものがある。音楽を感じさせるというより、如実に音楽のように、ある「時間」をつくろうとするもの。

と、新しい「めぬけ」が出来て思いました。音楽の中でも、長尺のジャムでなく現代音楽でもマントラでもなくて、生な弾き語りのような、そんな表現が集まった気がします。「ささやかな、俺たちの、フォークです」まだ読んでなく、ドアを叩くかの人はそう言ってくれたけれど、どうして的を得ているね。そう、ローカルで、フォーク、フリーフォークみたいなものかもしれない。
風の又サニーをはじめ、京都・東京、音楽界隈の人が多いからかもしれません。もちろん美術の人も、出版の人も、どれでもない人も色々と。23名、随分濃い人たちが集まりました。




まずは10/5〜8、寺田倉庫でのTOKYO ART BOOK FAIR、ロゴをつくってくれた李漢強さんのブースで売っていただきます。 A-c-14 Leekankyoさん寺本愛さんブースです。リーさんの作品も買って、めぬけも買って下さい。





ええと、詳細はまた追って。
何にせよ今回は前回の倍! 
時間かかった分気合い入ってますので、面白いモノのはずです!
ホームページも出来る予定です。

関係者の皆様、今週末〜来週にかけてご連絡しますので、宜しくお願いいたします。

2017年9月3日日曜日

here comes rain

音楽は時間を発生させるという。
菊地成孔と名越康文のトークイベント(8月、晴れたら空に豆まいて)で、場が暖まってきた渦中に名越さんが、こう、技術が発展してきてAIも凄い時代に、音楽にしか出来ないことはあるのか、とヌケヌケと菊地さんに聞いていて、それに菊地さんがとつとつと応じる、主観的、精神的なカイロス時間、それにイーオン時間があるという、音楽が発生させる時間はイーオン時間だという。難しい論理はよく言葉にできないのだけど、新しい時間を発生させる作用。たとえばジャズの転調、爆発的なインプロバイズ、聞く人はそこにもってかれちゃう、そんなものがそうなのかなあと……分かるような、分からぬような理解をした。

それで思うのがDCPRGの音楽だったりするのだけど、もっと思ったのは月初に見た渋さ知らズだったりした。だいたい、生活に渋さみたいなもの、というか渋さは必要である。あれは何なのか。長いこと見ているけれど、どうしてこうも飽きないのか。いっときいっときを、大事にしているからなのかなあ。生成し続ける音楽があって、人びとのコンディションやモチベーション、気分で移り変わって落ちつきが無い。一方で、落ちつきが無いというその中に落ち着く気もまたする。そこに色々なイメージが浮かぶ、時に激しい展開にからだが動く。いつも思うがピットインで前の方に座ってじっと聞いている人たちはアレは楽しいのだろうか。立った方がいいんじゃないか。酒が進んで止まない。そこにある時間はたしかに、言葉にできない、よく分からない。プレイヤーでないからプレイヤーの感じは分からないが、きっと彼らもまたまきこまれているのではないか。それはきっと祭りの熱狂に似ていて。

また一つ遡ると渋さの絵描きのアオケン(青山健一)さんの個展がその先月半ばにあって The Space Baa を久しぶりに見てそこでも何か持っていかれた気がする。音楽も当然、きれている。トランペットその他を器用に扱う辰巳さんが、途中からアイフォンを弾き出す。目を瞑るとエレキギターにしか聞こえない。宇宙っぽい。
音楽と一緒に絵があって、描いては消して、描いては消して、それをプロジェクションで壁に大写し、こうした技を長年やっているような絵描きは、そういないだろうと思う。自分で描く一コマ一コマを撮影してストップモーションアニメを作るくらいの人。根気というか何というか、呼吸するように描き続けられるのだろう、一筋縄でいくものではないのだろうけど。思えばそれは10年くらい前、渋さがワークショップをやるというので美術のところにいってみたところ、アオケンさんがすっ、すっ、と刷毛で流麗な線を描き出すのにとても惹かれたことがあった。その刷毛は几帳面に調えられていて、太くよどみのない線をきれいにつかって、円や線、迷い無く色々な生きものを描き出していく。引かれたばかりの絵具の鮮やかさ。

そうやって考えていると、もう10年以上渋さ界隈のライブを見ている。池間由布子さんも同じライブに見に行っていたと言っていた。先日また小岩のブッシュバッシュで哲夫が、かの人と一緒にライブをやっていた。そうだまた弾き語りだ。哲夫についてはもうあまり褒めても仕方ないから書かないけれど、あの歌いながら作っていくような感じは面白いなといつも思う。その日は何だか、しっとりしていた。つばさを下さい、なんて久しぶりに聞いたけれどいい歌だよね。エレキギターなどでもっと激しくやるのも好きだけれど、それは季節まかせ、風まかせなのだろう。
池間さんはあー、って歌いながら始めていた。長いことあー、って言いながらコードを弾いていた。あれは何なのか。タラ・ジェイン・オニールみたいって思う。見たことは無いけど。開かれていくような時間、空間。
昼下がりの、不思議な場だ。あとで気づいたのは、客は一人をのぞいて、一人で来ている男ばかりで、それも10人足らずか。夏の終りの物悲しさを体現していた。
すてきなこの人は、子どもみたいな、何なのだろうか、落ち着いた、けれど、ひそやかな何かを秘めているのだろう。けれど、何かになろうって気はない。そこに呼吸があって、笑いもある。笑いといっても、日常的な、微笑むような笑い。すっと立つ詩。うたがうたのまま、生きて立っているというか。しゅあろあろ。
もっと見てみたいと思う。

終わって飲んでいると哲夫が、こいつは散漫だから、という。たしかに散漫だ。
別の日、会社の先輩が、あなたはラジオのように色々なものをキャッチするから、という。
ラジオのように散漫なのだろう。

池間さんからコーヒーショップリーキのこと、という冊子を買った。後日、といううちにああ秋になってしまったのだけどそこに入っているDVDをようやく見ていると、何度か聞いたことのある明るい窓、が耳に染み入る。ブルーズな感じ。しかし、詩がいい、てらいがないというのか。明るい窓というモチーフは暗くもあって、明るくもあって、とてもいいと思う。この季節にいい。
この画は、ほんとうに一人でやっているのがまたいいのだろうな。いるのはカメラだけ。自由な、内向的なうた。と思えばオバさんとテレビがいたりして。いい店だ……。


(つづく)



earth + gallery アオケンさんの個展にて Space Baa 





2017年7月3日月曜日

音と日々 5、6月

芝居や映画、興が乗ったり一緒に行く人がいると通い出すが長続きせず、結局よく見ているのは弾き語りのライブである。それをフリーフォーク的というのか、それとも単にフォークというのか、人に伝わる言葉がよくわからないが、スタイルとしては弾き語りなのだろう。ひとりが、楽器を弾きながら歌う。主にギター。又サニーやシャラポア野口、知り合いにもそれをやる人が多い。
それを仕事終り、適当なときに行ってビール飲みながら見る。平均して週一回は見ている。

先週、晴れたら空に豆まいて、で、のろしレコードを見る。
それは3年前か、下北沢の地下の薄暗い店でやっていたのを見たのが最初だった。九龍ジョーさんが行くから行ったのだった。この文章も九龍さんが書いてみたら、と言ったのがきっかけで書いている。かといって何か大それたものを書こうというわけでもない。とりあえずだらだら書く。ブログだから見直して気になったらどんどん直す。
前に見たのが昨年末のセブンスフロア。季節も場所も違う。床に座るのと、あの暗めの感じがはまっているのか、音の伝わり方か、いや何だろうかな、とても深まっている気がした。聴きたかった合唱の河を渡る、は聞けなかったけれど、何だか色々腑に落ちた。あれは潔いというかシンプルな構成がものを言ったんだろうか。
夜久一さんが凄かった。死にたいと何かすっ、と歌っていてそれもまた腑に落ちる。ああいうことを言って馴染んでいるのは凄いと思う。つまびくギター、骨太な声。ブルーズなのだろうけれど、ブルーズという語の泥臭さを一直線に行きながらも泥臭くない。どこか瀟酒にも聞こえる。ジョニーキャッシュとかディラン、そうした音楽を思うけれど、何か鋭い刃物のようなところがある。そう死ぬ前のキャッシュがジョンフルシアンテとやっている曲があるけど、何かそれをフト思う。
折坂さんや松井さんもよかった。すごい過去のような、あるいは未来のような、詩情、、時間がもうよくわからない。ここでは夜久さんのことを思う。たしか年下で、よく見ると優男なのだけど、牛のような感じがする。のらりくらりとした凄みがある。

思えばブッシュバッシュや日の出町視聴室、あと小台ブリュッケ(池間布由子)。そんなところで弾き語りをよく聞いている最近。やっぱりうつ向きがちなニックドレイクみたいなものは、好きなのだろう。それはシンプルだからこそ豊かなあれこれをはらむのだろうか。ギターと人の声、アンプ、チューニングの聞き慣れた試しの音、指が弦にこすれるヘンな音、ループ。
フィーバーで見た柴田聡子やイ・ラン。ピットインで見たミラクルなショロウクラブ。そうしたものも素晴しかったけれど、何か人と酒を飲みながら話しながら、話の中身を考えながら聞く歌もまた面白く。あるいは演者とのやりとり、ヴェルベットの懐かしい歌。
この言葉は苦手だけど人に接近している気がするのかな、でも実際は思えば思うほど実像と遠ざかり空転するところはある。思わないと何かバッタリ会う。って恋の話みたいだ。

そういえばこの間ある作家の個展に行ったらタロット占いをやっていた。それはタロットになぞらえた新作シリーズだったからなのだけど。そうして占ってもらったら何かエラい大変なことになっていて、今年は大変すぎますとのこと。たしかにバタバタしている。大きなものに流されながら静観すべきと言われたけれど、何に流されているのか自分から流れているのか、よくわからないよね。

そうして今日は人に誘われ表参道のクラブみたいなところで満場の思い出野郎Aチーム。皆うまくて熱くて、そうボーカルのあのしゃがれ声は、いつか見た行方知レズなみに胸に届くものがあった。なんて言っていたっけ? 雨が降る、傘ぱくられたからビールを買う、そんなうた……それも又いい。そうだあと日常のリズム。内容はブルージーだ。
人びとはソウルフルなのか、満員電車みたいななか、近寄ると大体こちらを一度見る。目を合わせてくる。誰。
ギターのサイトウさんという人に似たウサギの指人形を友人はずっといじっていて、指人形って何かいいよなと思う。作ろうか。

気づくのは自分は地声で届くような密やかなところばかり行っている。その方がしぜんと、伸びやかになるんじゃないかな。ええと、気兼ねしないというか。
そうして音のある空間について考えている。
音は声は、不思議だ。


(つづく)





写真:過日の哲夫と過日の満場