2023年2月24日金曜日

窓から(2)

 今日もここは夜でもう暗い。街灯が相変わらず一本立っていて、あとは鬱蒼としている。そのうえに、細い三日月や、小さな星などがひそけくまたたいている。

どうも私は、ボンヤリしている。

最近見た夢について書こうと思っているのだった。

あとは何か、日常でふれるものについて考えられたらいいと思っている。


短い方からいくと、日常の方なのだろう。それは、誰もがふれていて、誰もが何か馴染みのある日常のパーツを考えたら面白いと思った。たとえば……何だろう。スマートホン。牛乳。コーヒー。缶ビール。道路、横断歩道。

横断歩道は私にもおぼえがある。白い線が引いてあって、それを渡ったりわたらなかったりする。時に、大きな河のような道を渡ることはある。大変なときは6方向くらいの道が交錯してその中心がたまりのようになっている。魚たちが思い思いの方向から思い思いの方向へ、時にゆったりと、大体はあくせくと渡っていく。ああした道を平常心で渡れるようになっては、人もあやしいと思う。本来ああした道を過ごすために私たちは過ごしていないのではないだろうか。

観察しているといつもノートを手に、色々な話題をラジオのように放言するオジサンがいる。高めの声で空に向かって近況を語り上げる。その先には無数のリスナーがいる。それと共に歩く人びとも皆、彼のお客なんだろう。その奥には、フォトスポットに訪れたような思いの観光客たちが、思い思いにカメラを構えて写真をとっている。

祭りのように、猫の集会のように、ああした祝祭的な空間では、どうも正常な考え方を削がれる。観光スポットみたいなものなのだろうか。パワーを吸い取られるパワースポットである気がする。猫の集会を横切るように、その河を信号の示す通りに横断していく車も車で、通るたびに何かすり減っているような感じがしている。タイヤは常にすり減っているのだろうけれど。


やはり先ほどにまして私はボンヤリしている。

庭を映す窓は、部屋の光で鏡のように私の顔を映す。

昼間によく見るホログラムがあって、そのことを思い出す。

上の方にある窓の光彩を、金魚鉢が映して、そこから違う世界が広がっているような感じがする。ここは今はただ鏡のように私を映すだけで、右手をあげれば右手を上げるし、眉を片方あげればそうするし、何のことはない。

その先の歩道に誰かがいてこちらを見るとかいうことも、ない。

これがまた河であるならずいぶん人気のない小川で、対岸には何もない。泳ぐのはただ、小さな……………


そう、夢の話をするのだった。

「なんだケンタ、戻ってきたのか」

そう発言する男は、ケンタという少年ーー少年と青年の合間くらいの感じの男を、中学校の職員室で、むかえている。ケンタというのは、かれの息子であり、かれが勤める中学校の生徒でもある。

ただケンタは数日前からどこかへいっていた。


…………肝心なのは、寡黙で挙動不審なケンタが、そのとき男の机で気に留めたものだ。それはとあるロックバンドのCDジャケット。妙にひかれて、かれは目を離さない。

「どうした、気になるのか」

「うん」

長らく出かけて心配をかけたケンタに、男は怒るわけでもなく淡々と、ケンタの今見つめているものを見つめてみている。

そうして実は、その裏側でほくそえんでいる。

これをダシに、今度の演目でさんざん利用してやろう、と考えている。

何も言わずにケンタはそのジャケットを手にとって、また歩いていった。家へ帰るのだろう。願わくば、寝室においてあるコンポでそのディスクを聞いてみてほしいものだ。


私はそんな男とケンタに、あの練習場で出会った。中学の体育館みたいなスペースで、何やら大きな画面を広げて、そこにコマ撮りのマンガのようなものを流していて、一つのキャラにつき一人、大きな声で叫ぶ俳優がいる。男は監督をしていて、ケンタは、一人のキャラクターを演じている。



(夢 つづく)