2011年12月4日日曜日

あなたに対するわたしの全てが、わたしの嘘であり表現だ—―みつを

サワキコウタロウのエッセイに、雑誌に載った文章はあまり読まなかった、大事なものはいつか、本になるから……といった話があった。
なるほど! とわたしもそう思い、あまり読んでいなかった。けれど最近ここ数年、相次ぐザッシの休刊閉刊をきくにつれ、ザッシという存在が、愛おしくなってしょうがない。
インターネットにWEBマガジンというものがありますが、あれはただの画面でしょうね。ただザッシを、めくっていると、これはかたちになる前の愛しい表現だな、というように思った。確かな、時にあやふやな、かたちと色。
とか色々思ったのだけど、歩いているうち、忘れた。
けれどそんなかたちを、嘘でなく素朴なやり方で、伝えたい気がします。
残るものは放っておいても残るでしょう、けれど残らないものも、残したいでしょう?
素朴な記念写真みたいに、ハタで見て感じてもいいですね、駅前の写真館みたいに。

緑色

路面に緑色と書いてある。アスファルトに白い塗料で、何か工事の印だろうか、無造作に書かれた字は不思議な味があって、汚い筆跡だけれどかたちは四角く、夜の路面にほのかな光芒を灯している。けれども、わたしが発見した夜からもう幾日も過ぎているのに、ずっと書かれたそのままで、路面が緑色に塗られる気配がない。
気になるのである日、フラッシュ具合がちょうどよく写真を撮ると、暖かみある字が見られた。どこか記憶の底に放っておかれた字のようで、親しみ深い。


そうしてナマエを失ったわたしは、とりあえず緑色を探して電球のもと、彷徨っている。柔らかな光がわたしを包むの。

ねえ聞こえる? わたしは、鍵穴じゃないの、人型、腰から上の
あ、鍵穴だと思ってた。ごめん、でもこの鍵はなんなの? わたしが、ずっと首に下げていた、記憶のない頃からずっとずっと……
「いい? 劇団『トマトの穴』! トマトの穴よ、いいでしょう!」
「渋谷の道玄坂の、ラブホ街の手前の通り、ヤマダ電機、やLABIの裏口が面している通りにあるパスタ屋かい? あそこでいつか青年が『触らないでくれよ! どいてくれよ!! と大声で言いながら早足で歩いていったのを、よく覚えてる」
「何エッチなこと考えてるわけ? トマトの穴ってのは、トマトがぎゅうぎゅうに詰まってる穴のことよ、そう、『マルコビッチの穴』みたいに」
「ビッチの穴! 君こそ何なのだい、卑猥きわまりない……はは、あはは」
「…茶番はやめましょうよ、ねえ、人生で大切なものは、何?
「……」

愛と不倫、しゅっとそんな考えがよぎった。よぎってついつい「愛と、不倫……」と言ってしまったが、言ってからどうもそれでいいのか? という気がしたので、その場を去った。あとあたまには、最近ネパールで見た緑色の景色がいちめんに、広がっていた。
あ、生き生きと生きること。どうだろうか。日々日々、違うものが思いつくけれど。

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